夢と現実の狭間で

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夢と現実の狭間で

 夢と現実の狭間を揺蕩(たゆた)いながら、彼と過ごしたあの数日間を忘れない。    それは海の波間にキラキラと瞬く陽の光の中にいるような、全てが切ないほどに儚く、手を伸ばせばすぐに消えてしまう幻を抱くような日々だった。  ──僕はずっと君が気がかりだった    肌を重ね合わせベッドに横たわり、彼は私の手を握っていた。  間接照明の明かりが届かない、薄暗い天井を眺めながら、私はぼんやりと彼のやさしい声に耳を傾けていた。  彼はシーツの中に手を入れて、私の下腹の辺りを探り、深く刻まれた傷痕を指の腹でそっと撫でる。  ──君が意識を失った時、僕はあの店にいたんだ  最初彼が何を言っているのか、わからなかった。  彼は私を抱き寄せ、記憶の糸を手繰り寄せる。  ──ひどい出血だった。救急車を呼んだけれど、君のご主人とその時どうしても連絡が取れず、僕がそのまま君に付き添うことになった。  あとで渓から聞いたことを思い出した。  私の緊急手術の手続きの一切を、その時付き添ってくれた誰かがやってくれたのだと。  けれどもその人の連絡先は一切わからず、お礼も言えないまま時が過ぎてしまった。  ──でも僕は嬉しかった。まるで自分の分身を見つけたような気持ちだった  彼は少し間をおくと、ゆっくりと告げる。  ──君の体の中には僕の血液が流れている  私は言葉を失う。それは絶対に有り得ないことだったから。  彼は覚悟を決めた眼差しを真っ直ぐに向ける。  ──胎盤剥離による多量出血で、君も命を落とすところだった。だから僕の血液を輸血したんだ。僕の血液はRh nkk型。世界で60人ほどしかいない稀なタイプ。君と同じ血液型だった。  こんなことってあるのだろうか。  今まで1度だって、同じ血液型の人と出会ったことなどなかったのに。  まるで夢物語を聞いているようだった。  両親が亡くなったのは、事故に遭った彼らが特殊な血液だったため、すぐに輸血が受けれなかったから。  その同じ血液を受継いだ私は、子供の頃から怪我や様々なトラブルを避けるため、自由に友達と遊ぶことが出来なかった。  好きな人と恋をすることさえも。  私は普通の幸せを望んではいけない。  いつしかそれが、自分の人生の基本となってしまった。  両親が亡くなり、早くに一人ぼっちになってしまったこと。  やっと家族に恵まれても、子供を死産で失ってしまったこと。  愛してほしい人に愛してもらえないこと。  幸せを乞えば乞うほど、何故か孤独が目の前に立ちはだかる。  握っても握っても指の間から幸せが零れ落ちてしまうのは、誰のせいでもなく、ずっと自分が特殊なせいだからと思っていた。  彼も同じだったという。  何故か自分だけがいつも周りから浮いたような孤独感があったと。  私は世界の片隅で、本当に一人ぼっちではなかった。  体のずっと奥深い場所が、歓喜に打ち震えていた。    ──君は朦朧とした意識の中で、取り出された子供に手を伸ばそうとしていた。だから僕は君の手を握って、必死に声をかけていたよ  彼は握った私の手の甲に唇を押し当てる。  ──君はどんなことがあっても、生きなきゃだめだ。それは僕のためでもあったから  記憶の片隅に微かに残っている、誰かのやさしい声と大きな手は彼だった。  けれども彼は、ドナーとしての役割りを終えたあと、プライバシー保護のため私達の前から姿を消さなければならなかった。  ──ずっと僕は、もう一度君に会いたかった  体中を流れる血液の細胞の一つ一つが、喜びに振動していた。  私達はこれまで向き合ってきた、互いの孤独を埋め合うように、心のままに体を重ね合わせる。  ずっと色褪せて見えた景色が、一斉に色彩を取り戻し、目に入る全てのものが命を吹き込まれたように輝いて見えた。
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