第2話 眠らない夜の絡繰り人形(6)

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第2話 眠らない夜の絡繰り人形(6)

「ローヤン先輩……」  シュアンが呟いた。  だが、ローヤンの目はシュアンを通り越し、その先にいるミンウェイの背中を食い入るように見つめていた。  彼女は、まだ心音の止まっていない巨漢を蘇生すべく、胸骨圧迫を施していた。それが適切な処置であるかは疑問だが、大事な情報源を失うわけにはいかぬと必死なのだろう。  血にまみれ、ぬめる巨漢の体に、彼女は躊躇なき衝撃を与える。ちらりとモニタを確認しては手元に視線を戻し、髪を振り乱しながら規則的な動作を続けていた。  しかし、その苦労も虚しく、巨漢は全身で地獄の苦しみを表現しながら、徐々に鼓動を弱めていく。 「無駄ですよ」  ミンウェイを小馬鹿にするように、ローヤンが嗤った。  シュアンは制帽を目深にずらし、表情を隠した。  半分、影の入った視界に映るローヤンは、姿形も、声すらも、紛うことなく先輩だった。しかし、目の前の男は、まったく別人であると、シュアンの本能は告げている。  シュアンは唇を噛む。口腔内に、じわりと鉄の味が広がった。  桜の大木の庭で、警察隊と凶賊(ダリジィン)が大集結したときから、ローヤンの様子はおかしかった。  救出すべき貴族(シャトーア)の令嬢を一方的に替え玉と決めつけ、発砲した。 『いいか、シュアン。撃つのは一瞬だが、不可逆だからな。――その一発の弾丸が、無限の可能性を摘み取るんだ。俺たちは常にそれを意識して、引き金を引かなければならない』  ローヤンは、決して臆病な男ではない。  けれど、軽率な男でもなかった。 「……あんた、誰だよ?」  獣が唸るような声で、シュアンは問いかけた。 「おや? 警察隊の方が、鷹刀の屋敷にいるとは意外ですね」  あざ笑うかの調子で、そして、まったく見知らぬ他人への口調で、ローヤンは口元に微笑を浮かべた。  シュアンの動きが一瞬だけ止まった。だが、すぐに、巨漢につきっきりになっているミンウェイに呼びかける。 「ミンウェイ。こいつは、俺の先輩じゃない」  ミンウェイの返事はない。一心不乱に蘇生を試みる彼女の耳には、何も聞こえていないようだった。 「おい」  シュアンは、つかつかとミンウェイのもとに寄って彼女の腕を掴んだ。ぐいと引き寄せ、彼の両手が彼女の両肩をがっちりと捕まえる。そのまま、彼女の体をモニタ画面に向けた。 「そいつはもう、何をしても助からない。分かるだろう?」 「あ……」  まだ、モニタの波形は直線ではない。ただ、限りなく直線だった。 「それより、こっちだ」  シュアンはローヤンを示す。  ミンウェイがローヤンへと顔を向けたとき、ローヤンが目を見開き、喜色満面を浮かべた。 「ああ、ミンウェイ。やっと君に逢えたね」  愛しい者を見る目でローヤンが呟く。 「美しくなった。さすが、私の〈ベラドンナ〉だ」  ミンウェイの表情が凍った。乱れた髪が一筋、目元から頬まで抜けていき、まるで彼女の綺麗な顔に傷がついたかのように見えた。 「髪に巻き癖をつけているのかい? 悪くはないけれど、可憐な〈ベラドンナ〉には、その髪は華やかすぎるよ。楚々とした美しい貴婦人の花だからね」  ミンウェイの顔が蒼白になった。  彼女の両親は、鷹刀一族の血を濃く引く、従兄妹同士。よく似た遺伝子を持つふたり。だから本来の彼女の髪は、イーレオ、エルファン、リュイセンなどと同じ、まっすぐで(あで)やかに輝く、さらさらの黒髪だった。  ――けれど、それを知っている者は、今となってはそう多くはない。  ミンウェイは、一歩後ずさった。  その背に、シュアンが手を回す。腰が引けた彼女を逃すまいとしているようであり、倒れそうな彼女を支えているようでもあった。 「あんた、この男を知っているんだな?」  シュアンが低い声で尋ねた。 「し、知らない……。知りません!」  ミンウェイが激しく首を振る。 「知らないってことはないだろう?」 「彼は、あなたの先輩でしょう!?」  すがるような目で、ミンウェイはシュアンに訴える。よろけかけた姿勢から彼を見上げたとき、目深な制帽で隠していた彼の目元が見えて、彼女は息を呑んだ。  独特な、彼らしい軽い口調が変わらなかったから、彼女は今まで気づかなかった。  果てしない憎悪――。 『不快なものを殲滅したい』と、応接室で彼女に語ったときと同じ、暗い暗い炎が揺らめいていた。  軽く口の端を上げたままの、笑んだような口元から狂犬の牙が覗いた。だらだらと涎を垂らしながら、噛みつける相手を見つけた歓喜に喉が鳴っている。――ミンウェイには、そんな幻影が見えた。 「俺は『こいつ』のことは知らない。――俺は先輩の交友範囲なんて把握してないが、少なくとも凶賊(ダリジィン)の女と付き合っているなんて聞いたことがない。だが、『こいつ』は明らかに、あんたのことを知っている」 「……信じられない。だって、あり得ないもの……」 「現実ってヤツは、信じる者を踏みにじるために存在しているのさ」  そう言って、シュアンは『ローヤン』を睨みつけた。  この絡繰(からく)り人形が、どんな手段で作られたのかは分からない。重要なのは、ローヤンは怪しい小細工に堕ちた。それだけだ。  警察隊内外から信頼の(あつ)い男だった。それはつまり、邪魔に思う敵が多いということだ。シュアンの上官たる、あの指揮官も疎んでいた。  ――ほら、絡繰(からく)りの歯車は揃っている……。
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