第2話 眠らない夜の絡繰り人形(7)

1/1
前へ
/44ページ
次へ

第2話 眠らない夜の絡繰り人形(7)

「あんたは、休んでろ」  彼は、ミンウェイの背に回していた手を外し、彼女とローヤンの間に体を割り込ませた。突然のことに彼女はたたらを踏むが、なんとか踏みとどまる。 「緋扇さん……?」 「俺は、『こいつ』と話すために、ここに来たんだ」  シュアンは、ローヤンの載せられた台に近づいた。ミンウェイの気遣わしげな視線を感じるが、完全に拘束されている相手を恐れることはない。 「よぉ、〈七つの大罪〉の〈(ムスカ)〉さん。はじめまして」  馴れ馴れしく言って、口元から牙を覗かせた。背後でミンウェイが何やら反応しているが、そんなものは無視である。 「ほぅ、私を〈(ムスカ)〉と呼びますか」 「ああ」  この男は先輩ではない。先輩とは別人の『誰か』なのだ。そして、ミンウェイとのやり取りを聞いていれば――。 「だって、それしか考えられないだろう?」 〈七つの大罪〉の技術とやらで、ローヤンを操っている。――それがシュアンが導き出した答えだった。 「そして、そっちの巨漢も、『あんた』だ」 「ふむ。どうしてそう思うんです?」 「そいつは見た目が脳筋馬鹿のくせに、小賢しい口を叩いていた。あんたそっくりのな」  シュアンは、ちらりと隣の台に目をやった。モニタ画面は、生と死の境界線を描いたかのような直線となっていた。 「昼間……鷹刀イーレオの部屋で、俺はそいつを人質に、偽警察隊員に武器を捨てるように言った。そしたら、そいつは『私のことはどうでもいい』と言いやがった」  執務室に仕掛けられた、〈ベロ〉という人工知能の活躍で事態が収束したため、皆の記憶からは抜け落ちてしまったかもしれないが、シュアンは覚えていた。一度は、シュアンがあの場を制圧したのだ。 「そいつは命を惜しまなかった。――それは中身が『あんた』で、だけど、そいつが死んだところで、本物の『あんた』は、なんの痛みも感じないからだろう?」  シュアンは再び、巨漢を見る。苦しみ抜いた彼の目尻からは、場違いに澄んだ涙が落ちていた。 「……『あんた』は安全なところから、そいつや先輩を動かしているんだ」  姑息で卑劣――シュアンが最も忌み嫌うもの。  彼が三白眼で鋭く睨みをきかせると、ローヤンは、にやりと嗤った。そのおぞましさに、肌が粟立つ。  ローヤンはシュアンには何も答えず、後ろのミンウェイにうっとりと語りかけた。 「ミンウェイ、私の〈ベラドンナ〉。迎えに来たよ」 「…………本当なの……?」  消え入りそうな細い声。  シュアンが振り返ると、蒼白な顔をしたミンウェイが唇をわななかせていた。 「お父様は、生きて……?」 「勿論、生きているよ」  (とろ)けるような甘い声で、ローヤンが答える。 「ずっと、君に逢いたかった。私の愛する〈ベラドンナ〉。これでやっと――君をまた私のものにできる」  刹那、シュアンの思考が固まった。  シュアンの視界に映るのは、拘束された三十路過ぎの男に、言葉をかすらせる妙齢の美女――。  この光景を物語にするのなら、罪人であるがため、長く恋人に逢えなかった男が、積年の想いを告白している、そんな甘美な恋愛譚。  だが、男の中身は、彼女の父親なのだ。  今、奴はなんと言った? 君をまた私のものにできる――?  徐々にその意味を理解するにつれ、シュアンは吐き気がこみ上げてきた。  気が狂っている。  確かイーレオはこう言った。『男手ひとつで育ててきた』と。この異常なまでの溺愛の中で育てられたということは、すなわち――。  ミンウェイは震えていた。否、脅えていた。 「さぁ、一緒に行こう」 「い、嫌……」  ミンウェイが喰い殺す側の人間などというのは、嘘だ。彼女は、ずっと親に喰われ続けていたのだ。  シュアンは拳を握りしめた。 「どうしたんだい? 君は、ずっと私を慕ってくれていただろう?」 「お父様……」 「……思った通りだ。ミンウェイ、君は私と離れている間に、随分と鷹刀イーレオに毒されてしまったみたいだね」  ローヤンは憂い顔になり、深い溜め息をついた。 「仕方ないから、君をさらっていこう」 「え……?」  狼狽するミンウェイをよそにローヤンは視線を移し、シュアンに向かって、にやりと嗤った。 「そこの警察隊員。私の拘束を解きなさい」 「あんた、何を言って……!」  言い返そうとしたシュアンを、ローヤンの声が素早く遮る。 「この体は、あなたの大切な先輩のものなんでしょう?」 「な……!」  ローヤンの顔は、醜く歪んでいた。ローヤン本人なら決してあり得ない狡猾な表情――。 「私の言う通りにしなければ、この体がどうなっても知りませんよ?」  そこにいるのは、禍々しい悪魔だった。  思い切り頭をはたかれたような衝撃が、シュアンを襲った。脳震盪を起こす手前のように、目の前がくらくらする。  ふらつく足を踏ん張り、シュアンは平静を装う。  焦ったら負けだ。――彼は、激昂に震える拳をゆっくりと開いた。 「確かに、その男は俺が世話になった先輩だ。けど、俺に説教しやがったんで、殴り飛ばして喧嘩別れしたのさ」  いつもの軽い口調で、シュアンは言った。それに対しローヤンは、太く黒いベルトに四肢を捕らえられた姿で、小馬鹿にしたように嗤う。 「何を言っているんですか。捕虜の自白の場に立ち会っているのは、この男のためでしょう?」 「鷹刀とは裏取引がある。もともと用があった。ここに来たのは、そのついでだ」  ローヤンは、どこか演技じみた様子で、溜め息をついた。 「強がりを言うものではありませんよ。あなたにとっては、これが唯一のチャンスなのですから」  目を細め、思わせぶりにゆっくりと言を継ぐ。そっと囁くような声は、わずかに下げられていた。 「使った体は、役目を終えたら片付けるものなんですよ。この体も、そろそろ潮時と思っていたところでした。……けれど、あなたが私に従うというのなら、始末するのはやめましょう」  薄ら笑いを浮かべながら、ローヤンが愉しげにシュアンを見上げた。人を追い詰め、陥れる。それは、まさに悪魔の所業だった。 「……俺に、あんたの駒になれと? ふざけるな。俺に命令できるのは俺だけだ」  甘言に耳を貸してはならない。どうせ、どこかに落とし穴がある。シュアンは神経を研ぎ澄ませ、必死に思考を巡らせる。この場を、どう対処すべきか――。  シュアンの斬りつけるような三白眼に、ローヤンはくすりと嗤った。 「それでは、この体は始末します」
/44ページ

最初のコメントを投稿しよう!

19人が本棚に入れています
本棚に追加