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第2話 眠らない夜の絡繰り人形(10)
「あなたと私は『この肉体を殺したくない』という点において、完全に利害が一致しています」
論理的に聞こえる話。理知的なローヤンの声。だが、これは悪魔の言葉なのだ。
耳を傾けてはいけない。そう思うシュアンの耳は、視界を閉ざした分だけ、いつもより鋭さが宿り、悪魔の声がはっきりと届いた。慌てて目を開くと、今度はローヤンの悲痛な面持ちが目に飛び込んでくる。
「遅かれ早かれ、私は〈蝿〉に始末されます。――その前に、あなたに〈蝿〉を殺害してほしいのです」
真摯なふりをして訴えてくる。だが、先ほどミンウェイに投げつけた言葉は悪魔そのものだった。あれが本性だ。
心を鎮めようと、シュアンはゆっくりと息を吐く。
「あんたの言いなりになったって、先輩は戻らないんだろう?」
「分かりませんよ?」
ローヤンの目元が狡猾に歪む。
「〈七つの大罪〉は研究組織です。確かに、現在の技術では元に戻すことはできませんが、研究を続ければ、可能になるかもしれません」
「戯言だ……」
「私は肉体の再生技術を持っています。だから、私は新たな『私』の体を作り上げ、『〈蝿〉』に戻りたい。そのとき、この体を返すことになんの問題もない――分かりますか? 利害は一致しているんですよ?」
ローヤンは、利害の一致を繰り返し、強調した。
シュアンは、濁った三白眼をローヤンの瞳に向ける。
頭上の無影灯が、やけに熱く感じられた。シャツは背中に張り付き、制帽に押さえつけられたぼさぼさ頭が痒くてたまらなかった。
「そんな甘言を信じられるほど、俺は恵まれた人生を送ってきてねぇんだよ……」
これは悪魔なのだ。言葉巧みに罠に陥れるもの。今までだって、数知れない『悪魔』がシュアンを襲ってきた。
信じたら、裏切られる。
喰われる前に、喰ってやる。
シュアンは懐から拳銃を取り出した。
「私を撃つんですか?」
ローヤンは――ローヤンの顔をした悪魔は、平然とシュアンを見上げていた。撃てるわけがないと高をくくっていた。
「先輩は元には戻らないと、あんた自身が言ったんだ。だったら、うるさい蝿は始末するだけだ」
「現時点では、と言ったでしょう?」
「うるせぇ!」
「短気な人ですね。ここは、とりあえず私の手を取るべきですよ。可能性はゼロじゃないんです。希望はあります」
駄々っ子を諭すような口調に腹が立つ。シュアンは顎を伝ってきた汗を、手の甲で乱暴に拭った。
「悪魔が『可能性』だの、『希望』だの。反吐が出るね!」
シュアンはローヤンの額に照準を合わせた。
そのとき――。
「緋扇さん……!」
ふわり、と。
シュアンの横を干した草の香りが抜けた。彼の銃口の前に、ミンウェイが立っていた。斬り込むような鋭い視線。強い意志を持つ、決意した者の顔だった。
「そのカードは、まだ切っては駄目です!」
ミンウェイの厳しい声が響く。
彼女は威圧の瞳でシュアンを抑えると、ひとつに束ねられた波打つ髪を翻し、ローヤンに向き合った。白衣の背中が凛と、無影灯を反射する。
「緋扇さんの先輩を、必ず元に戻すと約束してください。代わりに、私は『あなた』のものになります」
シュアンは「な……っ!?」と言ったきり絶句し、ローヤンが複雑な顔で唸りを上げる。
「その警察隊員のために、君がそう言ったのだと思うと、腹わたが煮えくり返るね。……だが、君はまた、鋭いところを突いてきた……」
「ええ。お父様ではなく、『あなた』です。『あなた』が望むなら、私はお父様の殺害でもしてみせましょう」
今まで饒舌に喋っていたローヤンが押し黙る。
ローヤン――否、目の前にいる『彼』にとって、〈蝿〉は、いわば『本体』。敵意、対抗意識、競争心――そういったものが、ないまぜになった感情が『彼』にはある。
「ミンウェイ! なんで、ここであんたが出てくるんだよ!? 関係ないだろ!」
やっとのことで口を開いたシュアンが、ミンウェイの肩を掴み、無理やり自分の方へ向かせた。
「緋扇さん、私は〈蝿〉の娘なんです。見ないふりなどできません。――そして、可能性はゼロではないんです」
「馬鹿か、あんた! お人好しすぎだろ。あんたなんか、逆に喰われて終わりだ!」
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