第3話 すれ違いの光と影(3)

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第3話 すれ違いの光と影(3)

 じわりと汗の滲む手で、ルイフォンはゆっくりとドアノブを押していった。  そこに、無明の空間が広がっていた。部屋の照明は落とされ、カーテンもぴっしりと閉ざされている。  闇を切り裂くように、ルイフォンが流し込んだ廊下からの光が、細く長く伸びていく。  何処にいる――?  相手は、メイシアの大切な父親だ。一刻も早く、無事な姿を確認したい。   しかし、現在のルイフォンは不審な侵入者だった。信用を得るまでは、彼を脅かさぬよう、慎重に行動する必要があった。  焦りは禁物。まだ闇に慣れぬ目を凝らして、ルイフォンは彼の姿を探した。  刹那、部屋の奥から、空気を鋭く吸い込んだような、声にもならぬ悲鳴が聞こえた。  扉の開きと共に、徐々に光が幅を広げ、ベッドに半身を起こした男の姿が見えてくる。彼は迫りくる光を恐れるかのように、あとずさりようもないベッドの端で震えていた。警戒し、脅えきった様子でこちらを凝視している。  いた――!  最愛の人の父親との、初めての対面としては、およそ最悪のものといえよう。  けれどルイフォンは、彼が無事だったというだけで、ぐっと胸が熱くなった。  今すぐメイシアに連絡してやりたい。傍受が怖いため、途中での通信ができないのがもどかしい。  ルイフォンはリュイセンを伴って、さっと部屋に入り、扉を閉めた。まずはこちらの自己紹介をせねばなるまい。  脅えている父親を刺激しないよう、距離をおいたまま、ルイフォンはまっすぐに瞳を向けた。  ――と、その後ろで、リュイセンがいきなり部屋の照明をつけた。  父親が、引きつったような甲高い悲鳴を上げる。ぎょっとしたルイフォンは、振り返ってリュイセンに詰め寄り、小声で抗議した。 「リュイセン、驚かすような真似をするな!」 「落ち着け、ルイフォン。暗い部屋の中で、見ず知らずの奴と閉じ込められるほうが、ずっと怖いだろうが。相手は一般人だ。俺たちのように夜目が効くわけじゃない」  半ば呆れたような、リュイセンの冷静な低音が響く。すっかり気分が舞い上がっていた自分に気づき、ルイフォンは恥じ入った。ここまで順調にきていたから、つい調子づいてしまったらしい。 「あ、ああ……。それも道理だ。……悪かった」  明るくなった部屋で顔を確認すると、彼は確かに藤咲家当主、藤咲コウレン――メイシアとハオリュウの父親だった。事前に写真で覚えておいたから間違いない。  ただ、随分と様相が変わっていた。ハオリュウとよく似た顔立ちはそのままなのだが、妙に老けて見える。  情報屋トンツァイの報告や、別の場所とはいえ、同じく囚えられていたハオリュウの証言からすると、健康状態を害するような、酷い扱いは受けていなかったはずだ。しかし、寝不足と過労からくるものなのか、眼球が落ち窪み、白髪も増えた気がする。  早く連れ帰ってやりたい――はやる気持ちを押さえ、ルイフォンは猫背を正した。それからきちんと直角に頭を下げる。彼が滅多に取ることのない、最上の礼だった。 「はじめまして。俺は鷹刀ルイフォンと申します。あなたのお嬢さんのメイシア――さんに頼まれて……」  そこまで言って、ルイフォンは首を振り、顔を上げた。癖のある前髪がふわりと揺れて、鋭く力強い眼差しがコウレンを捕らえる。 「――そうじゃない。『俺が』、あなたをメイシアに逢わせたいから、あなたを助けに来たんだ。あなたのことは必ず守るから、俺と一緒に来てほしい」  鋭く斬り込むようで、それでいて、まろみのあるテノール。ルイフォンをよく知る、兄貴分のリュイセンが、聞いたことのない響きに耳を奪われた。  ひとりの男の、心の底からの言葉が、声に力を宿していた。  ルイフォンが一歩、前に進み出る。  そのとき、コウレンの目が見開かれた。 「く、来るな!」  叫びながら、コウレンは手元にあった枕を投げつけた。上質で大きめの枕は、ベッドからさほど飛距離を伸ばさずに、あっけなく落下する。  彼は瞳に恐怖を浮かべ、身を隠すように毛布を胸元まで引き寄せた。 「鷹刀!? わ、私を殺すのか? 斑目は!? 金は渡したはずだろう!? 厳月が動いたのか? 藤咲をどうする気だ!」  がたがたと震えながら、コウレンは言い放った。  これは、いったい……。  ルイフォンは愕然とし、言葉を失う。
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