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第3話 すれ違いの光と影(7)
交渉は苦手だと、リュイセンはルイフォンに目で訴える。ルイフォンは頷き、ベッドの上から下りてきた。
「ファンルゥに会ったよ。パパがチョコをくれる約束を守ってくれない、と文句を言っていた。――お前の娘のくせに可愛かったぞ」
タオロンの反応を探るように、ルイフォンは最後のひとことで少しだけ声を落した。刹那、タオロンの纏う雰囲気が、がらりと変わる。
「お前ら――! あいつに何かしたのか!?」
「何もしてねぇよ。あの子に見つかっちまったから、見回りのふりして少し話しただけだ」
「どうして、お前らが、あいつの存在を知っている!」
強い語気だった。ファンルゥは、タオロンにとって大切に隠しておきたい掌中の珠。できるだけ触れてほしくないのだろう。想像していた通りだった。
「鷹刀の情報網を舐めるなよ」
ルイフォンは、にやりと笑う。――今は余裕の顔をしているが、タオロンの過去を知ったときの衝撃は、筆舌に尽くし難いものがあった。
タオロンは、かつてファンルゥの母親である女性と共に一族を逃げ出した。
しかし、彼が働きに出ている間に彼女は見せしめに殺され、ファンルゥを人質に取られた。
――タオロンは、服従を誓うしかなかった。
現在、父娘が同じ屋敷での生活を許されているのは、タオロンひとりでは一族を相手に娘を守り切るのは不可能だということを、彼も一族も承知しているからである。斑目一族としては寛大さを見せているつもりなのだろう。
事情を知ってしまえば、戦いたくない相手だった。
「あの子のために、お前とは極力、戦わない。これが俺たちの方針だ」
「……っ」
タオロンが、言葉にならない呻きを上げた。暗がりで表情は見えないが、うなだれた影が苦しげに揺れる。
「お前ら……。――ったく……」
彼は抜き身のままだった大刀を鞘に収めた。
傷が痛むのであろう。ふぅと、息をついてから、ルイフォンとリュイセンの顔を交互に見やる。この暗闇の中で、煌めく星々を見つけたかのように、タオロンは眩しそうに目を細めた。
「お前らは、いい奴だな……」
「当然だろ」
ルイフォンが口の端を上げ、胸を張る。すると、タオロンは相好を崩し、豪快に笑った。
「鷹刀ルイフォン。お前みたいな奴、俺は好きだぜ」
「男に好きだと言われても、気持ち悪いだけだ」
ルイフォンが軽口を叩く。
だが、その次の瞬間、タオロンの纏う雰囲気が急速に張り詰めていった。
「だから……、俺が悪役になるほうがいい」
轟くような声が、空気を優しく震わせた。
「タオロン!?」
ルイフォンが叫ぶ。
タオロンの全身から発せられる、緊迫した気配は消えなかった。それどころか、『鬼気迫る』とすら表現できそうなほどの気迫が高まっていく。
タオロンは、もぞもぞと体を動かし、懐をまさぐった。
「何をしている!?」
リュイセンが鋭く言葉を発する。
「自分でも馬鹿だと思う。でも、俺は馬鹿なのがいいらしいからな……」
外から漏れ入る、わずかな光の中で、タオロンが穏やかに笑っているのが見えた。
かち、という小さな音がした。
それが撃鉄を起こす音であることを、普段から銃に接しているわけではないルイフォンとリュイセンは知らなかった。
傷を負いながらも、タオロンが壁に向かったのは、コウレンを狙える位置に自然に移動するため。壁に背を預けることで、慣れない拳銃がぶれるのを少しでも減らすため――。
暗闇の中で、タオロンの銃口がコウレンを捕らえた。
不穏な空気を感じつつも、ルイフォンとリュイセンは気づかない。
タオロンが引き金を引いた――その瞬間だった。
「何やっているんですか!?」
銃声と同時に、驚愕の叫びが上がった。
タオロンの部下だった。リュイセンが蹴り倒した相手だったが、咄嗟の踏み込みが甘かったのか、もう目覚めたらしい。
だが、今回はそれが幸いした。部下の声に驚いたタオロンの弾丸は、明後日の方向に射出され、天井に穴を開ける。
「……っ!」
タオロンにとって、絶対に外してはならない一撃だった。
現実を前に、ただ呆然と銃口から立ち上る薄い煙を見つめる。そんな隙だらけの彼の腹に、リュイセンの鋭い蹴りが入った。タオロンの巨体は、あっけなくその場に倒れた。
「なっ……」
暗がりの中で伏したタオロンを見て、部下の男が一目散に逃げ出そうとする。その背を、リュイセンの双刀の峰が捉えた。
「がっ!」
悲鳴すら満足に上げることもなく、男の身体は床に落ちた。
リュイセンが忙しなく動き回る一方で、ルイフォンは、半ば放心状態だった。
――タオロンが、メイシアの父の命を狙った。
その事実に、ルイフォンは衝撃を受けていた。
タオロンには、好意的な感情を持ちつつあった。それが、裏切られたような気持ちだった。
「ルイフォン」
リュイセンが、ルイフォンの肩を叩く。
「あ……」
「今の銃声で、敵が集まる可能性がある。さっさと脱出するぞ」
「あ、ああ」
ルイフォンは、リュイセンを見やった。
顔の反面だけが外からの光を受け、残りは影。光と影の強いコントラストの中でも、一分の隙もない、作り物めいた完璧な美貌。リュイセンは、普段は文句が多いが、必要なときには必要なことだけを確実にこなす。
「……すまん」
リュイセンがいてくれてよかったと、心底思う。
「あの貴族が途中で目覚めたら厄介だ。薬を打っておけ」
「そうだな……」
気乗りしないが、リュイセンの言う通りだろう。ルイフォンは、のろのろと動き出した。
いつも以上の猫背で作業をするルイフォンの後ろで、リュイセンのためらうような息遣いが聞こえた。
「ルイフォン、お前は俺とは違って、生まれたときから凶賊として生きてきたわけじゃない。……だから、分からないだろう」
低い声が、闇に響いた。否定的な言葉に思わず反発心がもたげ、ルイフォンは不快げに眉を寄せる。
「分からない、って、なんのことだ?」
「コイツの覚悟」
リュイセンがタオロンを顎でしゃくった。その仕草は、暗闇かつ背後での動きであり、当然のことながらルイフォンに見えたわけではない。
「凶賊が己の肉体と、その延長の刃物以外を使うのは、お前が思っている以上に『恥』だ。――俺たちは、見栄で生きているようなものだからな」
「どういう意味だ?」
「コイツは、俺と同じく生粋の凶賊だろう? コイツほどの男が、凶賊の誇りを捨てて拳銃を使った。しかも、俺に負けたあとで、だ。どれほどの屈辱か、分かるか?」
ルイフォンは思わず振り返り、横たわっているタオロンの巨体を凝視する。
「コイツには、まだまだ俺たちの知らない事情がある。だが、俺たちにだって、俺たちの事情がある。――そうだろ?」
魅惑的なリュイセンの声が、ルイフォンを包み込むように闇に溶けた。
気になることは山ほどある。しかし、この潜入作戦の目的は、あくまでもメイシアとハオリュウの父、コウレンの救出。
「……そうだな。――行こう」
そう言ってルイフォンは、小さく「ありがとう」と続けた。
あとは、脱出するのみ――。
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