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第1話 天上の星と地上の星(5)
ルイフォンとリュイセンが散策路の森を抜けると、星降る紺碧の空のふもとに瀟洒な屋敷が浮かび上がった。外灯に照らし出されたそれは、白亜の城を思わせる。
高いフェンスを通して、青芝生の庭に蔓薔薇のアーチが垣間見えた。夜闇の中では、その色合いを確かめることはできないが、小ぶりで可愛らしい花々が今が盛りとばかりに華やいでいる。
華美で派手好きな斑目一族の別荘にしては上品さが見え隠れするのは、もとは貴族の持ち物だったのを買い取ったためだろう。広い庭に対して、建物は恥じらうように小ぢんまりとしていた。
正面には、庭を一望できそうな、大きく張り出たバルコニーがあった。
その手すりに体重をかけたような姿勢でたたずむ、大きな影。――外灯が壁を白く染め上げて光を返し、彼の刈り上げた短髪と意思の強そうな太い眉の陰影をくっきりと描き出していた。
斑目タオロン……。
ルイフォンとリュイセンは身を固くした。
こちらは森を背にした暗がりであり、明るい向こう側からは見つけにくいはずである。
だがタオロンの視線は、こちらに動いた。緊張の面持ちで、ふたりはじっとタオロンを見返す。
彼我の距離は、一度会ったきりの相手なら、時刻が昼間でも見間違える――というくらいには開いている。
しばらく――十秒は経っただろうか。
ふと、タオロンが軽く頷いたように見えた。
そして彼は踵を返し、室内へと姿を消した。窓硝子に映る影が小さくなり、やがて部屋の電灯も消える。
「今の……どう思う?」
ルイフォンは小声でリュイセンに尋ねた。
「普通の奴なら気のせいだと言えるが、奴に限っては俺たちに気づいただろう」
「……だよな」
――宣戦布告。
ともかく、進まねばならない。
キャンプ場からは、爆竹とオートバイの排気音、人の怒声が入り混じって聞こえていた。
気配からして、応援の凶賊は予想以上の人数だったらしい。心配ではあるが、適当なところで逃走する約束だ。あとはキンタンたちを信じる。
どちらからともなく、ふたりは目配せをしあった。
庭の外灯は、明るめに設定されている。身を晒しながら高いフェンスを越えるよりも、正面突破。あらかじめ決めていた段取りで、ふたりは門へと走った。
「ああ、お前ら、どうしたんだ?」
借り物の上着の効果か、ふたりを仲間と勘違いして声を掛けてきた門衛たちを、リュイセンが一撃で寝かせた。
起きていたときと同じように、壁に寄りかからせて座らせる。これで、遠目には気絶しているようには見えないだろう。念のため、ミンウェイ特製の謎の薬を手早く打っておいた。これで数時間は目覚めないらしい。
ふたりが門をくぐると、まるで出迎えてくれたかのように、春の夜風が蔓薔薇のアーチを抜けてきた。薔薇特有の芳醇な香りが、ふたりの肺を満たす。
ルイフォンが親指を傾け、リュイセンに進路を示した。
侵入者である彼らは、石畳に誘われるままに正面玄関から入るようなことはしない。ふたりは身を屈めながら、建物を回り込むように足早に進んだ。
別荘の地図は、完璧にルイフォンの頭の中に入っている。だが見回りの凶賊の動きは予測できない。だから、外灯の揺らぎにすら注意を払う必要があった。
「キャンプ場に、鷹刀リュイセンが出たって?」
「ああ、さっき待機中の奴らが送り込まれたらしい」
裏手に回ろうとしたとき、そんな会話が聞こえてきた。気配はふたりだ。
「夜番はかったるいと思っていたが、存外、俺たちラッキーだったな」
「だな。叩き起こされた上に、鷹刀リュイセンと戦えなんて、なぁ」
凶賊たちが笑った。だが、その笑い声も途中で止まる。
どさり、と彼らの体重が、重力加速度のままに青芝生を踏み潰した。
白目をむく凶賊たちを、無表情にリュイセンが見下ろす。彩度の低い夜闇の中で、整いすぎた顔は無慈悲な機械人形のように見えた。
――俺の出番、ねぇな……。
声には出さず、ルイフォンは内心で呟く。
不意を衝く攻撃なら、ルイフォンにだってできる。しかし、リュイセンのほうが確実――適材適所ということで、ルイフォンは足元の凶賊に薬を打つ役に回った。
建物の裏側。厨房の勝手口が、目指す侵入口だった。ここの警備は薄く、ルイフォンによって既に無効化されている監視カメラが一台あるきり――見かけだけは仰々しく、梁からぶら下がっていた。
食糧を搬入するための大きな扉が見えると、ルイフォンは懐から一本の鍵を出した。この別荘のマスターキーである。
あらゆる手段でこの建物の情報をかき集め、鍵の型番を調べ上げ、手に入れた。これさえあれば、メイシアの父が囚えられている部屋の扉も開けられる。
今の時間なら料理人と鉢合わせることはないだろう。窓から光も漏れていない。
ルイフォンは素早く鍵を回し、扉を開けた。
調理台と思しき机や、その上に置かれている調味料の瓶が、扉から入ってきた外灯の明かりに影を伸ばす。
ふたりは体を滑らせ、一瞬で潜入した。
音を立てぬよう、扉が完全に閉じるまでは取っ手から手を離さない。そして、外と中が境界線で区切られると、厨房は、ほぼ闇の世界となった。
リュイセンの手が、ルイフォンの服をちょいちょいと二度、引いた。
――待て、と言っていた。
ルイフォンは、分かっていると、その手を軽く叩いて返す。
目が慣れてくると、窓からの薄明かりでも、ぼんやりとあたりが見えてきた。申し訳程度の乏しい光量ではあるが、隣りにいるリュイセンの表情が読める。彼はルイフォンと同じく厳しい顔をしていた。
彼らが扉を開けた瞬間、明らかな気配があった。まさか、そこから誰かが入ってくるなんて――そんな驚愕が伝わってきた。
調理台の影に隠れているつもりらしい。
リュイセンは、自分が行く、とルイフォンに目配せをし、その次の瞬間には跳んでいた。
「ひぃぁ!」
可愛らしい、幼い声。
「いや、いやぁ!」
リュイセンに首根っこを掴まれた小さな影が、じたばたと暴れていた。
ルイフォンは、内ポケットに入れていた小型の懐中電灯を点けた。そこに、小さな女の子がいた。
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