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act.1 ★
苛立たしい気持ちを押し込める様に、手に持ったグラスに入ったレモンサワーを煽った。
「だから!」
所狭しと人が密集した店内。
昼は町中華として、夜はサラリーマンの憩いの場として賑わうこの店は、俺達が稽古後に飯を食う行きつけの店だ。
四方から聞こえる楽しげな声を聞きながら、わざと少し強めにグラスをテーブルに置く。
割れてしまわないかと一瞬ヒヤッとしたが、無事であることを確認して目の前の男に向けて言葉をぶつけた。
「先に脚本が出来なきゃ人も集めらんないだろ」
俺の話を聞いているのかいないのか、門 航大はマイペースに湯気の立つ器から麺を啜っている。
「聞いてんのか?」
そう問いかけると、航大は麺を啜りきり何か考えているような、何も考えていないような面持ちでゆっくりと麺を咀嚼しながら「う~ん」唸る。
航大と出会ったのは十年と少し前、まだお互い高校生の頃だ。
何を考えているのか理解出来ない時も多々あるし、理想主義な所があり、正直ウマは合わない。
けれど航大の書く物語や演出が好きで、こいつとなら大きな事が出来るんじゃと高校を卒業してすぐ二人で劇団を立ち上げた。
立ち上げたと言っても、この十年間鳴かず飛ばずで年に3回公演が打てれば御の字で、メンバーもここに居る俺、瀬川 蒼生と目の前の航大、そして俺の横に座る花咲 由依子、その向かいの望月 秋穂の4人のみの弱小劇団だ。
テレビで見るような派手な演出が出来る訳でも、誰もが知ってる大きな劇場で出来るでもなく、境遇の同じ鳴かず飛ばずの役者を公演ごとに募り、ギリギリ赤字にならない程度の公演を繰り返す日々に嫌気がさし、今まで目をつむってきた問題に向き合う為話し合いの場を設けたのだが──
「やっぱりさ、人を見ないと本進まないんだよね」
航大は変わらずマイペースを貫いている。
今まで新しい脚本を書くときはある程度先に出演者を集め、人を見ながら物語を作ってきていた為、今更先に本をあげろというのが航大にとっては暴論だというのも解っている。
だが、本番の三日前に完本し追い込まれるのが常な状況はなんとかしなければ人が付いてこないのも事実だ。
「それは解ってるけど、せめて骨組みだけでいいからさ」
どうにか客演として参加しているキャストが宣伝しやすい仕組みを作りたかった。
小劇場でやっている劇団は例外はあれど大体がその名前だけでは客席を埋める事が出来ないし、劇団員の集客だけでは確実に赤字。
なんとか参加してくれているキャストにチケットを売ってもらわないと、そして一人でも多く新しい観客を取り込んでいかないと生き残れない。
加えて大昔の様に厳しいチケットノルマも設ける事が出来ない昨今の演劇界を考えると、いつ大赤字を生み出してしまうか分からない。
考えすぎと言われたらそれまでだが、いつの間にやら27歳という歳になっていた俺は、夢や理想だけでは生き残れない事を知ってしまった。
「蒼生、眉間に皺すごいよ」
隣から笑い交じりに由依子が声を掛けてきた。
彼女なりに場を和ませようとしてくれたのだろう。
「ごめん」
少し頭に血が上ってしまった事を反省すると、今度は航大の横からジョッキが差しだされた。
「お水どうぞ」
ありがとうとジョッキを受け取ると、秋穂は少し居づらそうに既に水になってしまったカシオレだったものをチビチビと口に運んでいる。
受け取ったジョッキから一口水を口に含み、次に何を言おうか考えていると、
「ごめん!」
航大が唐突に声を上げ、
「ちょっとトイレ!」
笑顔でそう告げて席を立って行った。
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