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「あいつ……」
狭い店内をかき分ける様にしてトイレへ向かう航大の細く力の無い後ろ姿を眺めていると、力が抜けていく。
目の前に置かれた煙草に手を伸ばし、一本咥えて火をつける。
深呼吸するように2、3度煙を吐くとなんだか少し馬鹿らしくなってしまった。
「大丈夫ですか?」
聞こえた声に目をやるとこの中華屋でアルバイトをしている三上 星奈が注文していた唐揚げをテーブルに置きながら心配そうに見つめてきた。
大丈夫かと聞かれると、大丈夫ではない。
けれど関係の無い星奈ちゃんには驚かせてしまった事を謝らねば。
そう思い口を開くより先に、由依子が身を乗り出した。
「あ~星奈ちゃん、うるさくしちゃってごめんね」
代わりに謝る由依子は流石最年長だと思う。
いつもならここで俺も取り繕い、星奈ちゃんも巻き込んで少しの会話をするが、そんな気分にもなれず、航大が居るトイレのドアを見つめた。
出てきたらまた再開だ。
今日は朝まででも話し合ってやる。
そう頭では思うのだが──
「無理だよなぁ」
航大の頑固さは、俺が一番よく知っていた。
加えて奴にも何か思う事があるのだろう。
あのトイレの前の笑顔は、何かを隠しているような笑顔だった。
何を隠しているのかまでは解らないが、おそらく今問いただしても答えは出ないし、新しい問題──脚本を早く書く事には頭が向かない筈だ。
「あー……」
なんともたまらない気持ちを発散するように、声にならない呻きを絞りだしたその時、
「おい蒼生!」
由依子の平手が俺の背中に命中した。
「いって!」
これは余談だが、由依子は美人な顔面に似合わずとてつもなく力が強い。
ジンジンと痛む背中をさすっていると、
「次なに飲むの?」
そう由依子に問いかけられた。
「叩く事ねーだろ」
「だって蒼生ボーっとしてて人の話しちっとも耳に入れないんだもん」
そう言う由依子の横には困ったような笑顔を浮かべた星奈ちゃんが空いたグラスを手に立っていた。
またやってしまった。
頭の中で考え事をしていると、時々周りの音がちっとも入ってこなくなる癖がある。
「大丈夫ですか? 蒼生さん」
更に心配そうに声を掛けてくる星奈ちゃんに申し訳なさを感じ、それと同時に今日はもう駄目だと結論を出した。
「ごめん。 今日は俺帰るわ」
そう言いながらポケットにある財布を取り出す。
財布には5000円札が1枚。
一瞬だけ悩んだが、これ以上長居もしたくない為それをそのままテーブルに置き、煙草の箱を手に取って出口へ向かった。
「ちょっと蒼生!」
そう呼び止める由依子の声をかき消すように、
「ご馳走様でした」
言いながら扉を開け、冷たい風を感じながら店を後にした。
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