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雨と願いと、信仰と
翌朝。
空は抜けるような青をしていた。南東の窓から煌々と差し込む朝日は気持ちの良いものではあるが、ここにいる目的を考えると、感情のままに溜め息が漏れ出た。この溜め息の方がよほど湿っぽい。
「持田さん、おはようございます」
せっかくの機会に散歩でもと思い、宿から出ると、そこには既に水戸氏の姿があった。
「おはようございます。どうかされましたか」
「少しお時間よろしいですか?」
五分ほど車に揺られ、着いた先は水戸氏の邸宅だった。初めてここに来た時のことを思い出す。あの道は文字通り裏道で、町の大通りは普通に県道だった。
そういえば、あの三叉路のもう一方はどこに繋がっているのだろうか。
すると、私の考えを先読みしているかのように、彼は例の裏道へ脚を進めた。着いていく他ない私は、黙ってその後に続いた。
「持田さんには感謝しています。いえ、してもしきれません」
「私は何も。現に、雨だって降りそうにない」
「それはそれです。けれど、最後の準備がまだ終わっていないんです。こちらへ」
奇妙な空気を感じ辺りを見回すと、ちょうど三叉路に差しかかったことに気が付いた。右手は私がパブリカで通った竹林だ。
左手に折れ、更に細くなった道を進む。
「この先が神社です。狭いので気を付けてください。それと、実はまだお話ししていないことがありまして」
いよいよ不穏な気配がした。そう思うと、途端に水戸氏の纏う雰囲気も異様なものに感じて仕方がない。
こっそり背後に目を遣る。迷う要素のない一本道。いつでも逃げ出すことはできるのだが、何故か脚は前を向いたままだった。
「それは……」
平静を保とうとすればするほど逆効果になり、呈した疑問は若干上擦っていた。
「持田さん。何か勘違いされてませんか? 言ったじゃないですか。肉は苦手なんです。取って喰ったりなんかしませんよ」
「は、はは……。笑えないジョークですね」
未だにその真意が読み取れないことが一番笑えない。
「あ、やっぱり不謹慎でした? 笑いというのは難しいものですね。祈祷ですよ。社殿で祝詞を読み上げるんです。去年はできませんでしたからね」
神職装束を着込んだ水戸氏が祝詞を読む。私はその後ろで正座をし、両手を合わせて静かに聞いていた。
その年一番の功労者に立ち会ってもらうのが、豊雨祭の一つの慣例らしい。部外者も例外ではないというのは意外だったが、何よりも、早とちりして逃げ出そうとした自分が恥ずかしくて仕方がなかった。
「これで全ての準備が終わりました。お付き合いいただき、ありがとうございます」
静かに振り返った彼は、別人のように活力に満ち満ちていた。
昼を過ぎたころ、北風が遠くから悍ましい色の雲を運んできた。それは太陽を隠し、涼を齎した。人々は歓喜に沸き上がり、樽や桶を肩に担ぎながら、祭囃子が鳴り響く境内を練り歩いている。
「ほら、——」
水戸氏が小さく語りかけてきたが、お囃子に掻き消されてしまう。
聞き返そうとした瞬間、冷たい雨粒が私の額を優しく叩いた。
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