夜の公園

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夜の公園

 きりりとした夜の空気へ踏み出す。  寒いと言うよりは心地良い風の冷たさに、ほっと溜息をもらした。  ようやく、息が吸えた―——  ここのところ、家でまともに息が出来ない。  理由はわかっている。でも、だからってどうすることもできない。私のせいじゃないし。  こっそり夜中に抜け出すようになった。  母親の視線の変化。それは本当に微細な物で、気付かないフリをすればどうってことないレベル。  それでも感じてしまうのだから仕方が無い。  憎いと言う嫌悪感を。  父親の浮気がバレて離婚が成立したのは二か月ほど前のこと。高校生の私の親権は母親になった。離婚の話合いと新しく始めた仕事のせいでげっそりと痩せてしまっている。それでも、完璧な母を演じ続けているのは、私への愛情からでは無い。  それが透けて見えた瞬間、消えたくなった。  私がいなければ、母は新しい人生を生き直せる?  最初はそう思ったけれど、世間体を気にする母にとって、それは逆効果なのだと気づいた。  私を立派に育て上げる事。  それが、母のプライド。  だから、私は勝手にいなくなるわけにはいかないようだ。  でも、いい子を演じるって疲れる。  夜の公園は、静かだ。  お節介な大人は、「怖くないの?」「危ないよ」と言うかもしれない。    でも、私は平気。  繁華街から遠い住宅街の、忘れ去られた小さな公園になんて誰も来ないから。  酔っ払いの通り道でも無い。野生動物の住まう場所でも無い。  あるのは、夜空と遊具とベンチが一つ。  誰もいないから、安全なのだ。  いるのは私一人―――のはずだった。    でも今、私の横には、ノラネコのような彼がいる。    母親が寝静まったのを確認してから外に出るから、だいたい夜中の十二時を過ぎてしまう。でも、なるべく音をさせないようにと、廊下の軋む位置まで把握しているから、猫のように俊敏に動けるのだ。  いつものように、黒いパーカーに身を包んで公園のベンチに向かった私は、先客が居てぎょっと立ちすくんだ。  同じような黒のパーカー。ゴロリと横になって寝ている。  酔っ払い? 近所の人?  息を殺して観察を続けていたつもりだったのに、フワリと起き上がる影がこちらへ声をかけてきた。金髪に染め上げた髪が暗闇に浮かびあがって、生首みたいだと思った。 「誰だ?」  若い男性の、やや高めの甘い声。 「……」  失敗した。私が隠れていたのは、ベンチの向かい側にある生垣の後ろ。だが、その右斜め前には、公園唯一の電灯が立っていた。  あちらからこちらは見えるのに、こっちからあっちは良く見えない。  腰を屈める前に既に気づかれていたのだ。最悪の状況。 「……お前……岩瀬、か?」  私の名前を知っている。と言っても、二か月前までの苗字だけれど。  その時になって、ようやく声の主に思い至る。 「なんだ。(わたる)か」 「ん」  軽く右手を挙げたあいつが、ベンチの真ん中から少し端へと移動する。 「久しぶりだな。一年? いやもっとか」  一瞬躊躇してから、私は彼の隣、拳五個分くらいあけたところへ腰を下ろした。  久しぶりの同級生は、未だ残る童顔を微かにほころばせた。 「そうだね。どうしてここに?」 「……なんとなく」  そう言った航の顔はこれ以上聞くなと言っている。  その瞳が、行き場を無くしたノラネコのように見えた。  彼がこの近くに住んでいたのは、小学校低学年の頃のこと。  両親の離婚で父親の実家で暮らすことになった航はとっくの昔に引っ越していた。と言っても、同じ町内だったので中学は一緒だったけど。  小学生の頃はこの公園で近所の子どもが集まって遊んでいたから、航ともここで遊んだことがある。  でも、なんで今ここに?  重ねて聞いても、どうせ答えないだろうな。 「金髪にしたんだ。暗闇で浮いて見えてお化けかと思ったよ」 「ひでえ」  そう言ってふっと鼻で笑った航。 「そう言うお前こそ、なんでこんな時間にこんなところにいるんだよ」 「いいじゃん」 「……そうだな」  それ以上何も言わないから黙って俯いた私に、ぽろりと零れ出た航の本音。 「あの頃は楽しかったな」    航の視線が公園を見回している。ここで遊んでいた頃は、無邪気でまだよくわかっていなくて。あの頃だって喧嘩したり拗ねたり泣いたり。悩みが無かったわけでは無いと思うけれど、それも今思えば可愛いもので。  なんだかんだ言って、楽しかった思い出しか思い出せない。 「そうだね。あの頃は楽しかったね」  少なくとも、『また明日』となんの躊躇も無く言えていたよね。  あの日から私たちは、待ち合わせてもいないのに一緒にこの公園で夜を過ごすことが増えた。    あいつと私。  暗闇に囲まれて。 「腹減った」 「チョコいる?」 「甘過ぎるな」 「これがあれば数日生きていられるくらい栄養豊富」 「水がなきゃ無理だけど」 「いらないならあげない」 「欲しい」  一粒。 「うへ、やっぱあまっ。今度は喉乾いた」 「······」  次の夜からは互いにちょっとだけおやつを持ち合いながら、わずかな光の中で、どうでもいい会話を投げ合った。  肝心なことには触れずに。  だから、慰め合う事もないし、励まし合う事もしない。  ただ、一緒に息をするだけ。    今、ここにいる。  それを確かめ合うだけの関係。  でも、そんな関係が———堪らなく心地よかった。  だから、そこに紛れ込んだ恋心と言う名の依存心に気づくのが、ちょっとだけ遅くなってしまったんだ。  ノラネコにとって依存心は、命取り。  そう、だから、私は。  会えないってだけで心が壊れるなんて、思ってなかった。
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