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春隣 15
「さぁ行こうか。洋くんと横浜までデート出来て嬉しいよ。今日は車を車検にだしているからバスでいいか」
「忙しいのにすみません。よろしくお願いします」
翠に頼まれなくても、送ってやるつもりだった。
洋くんの美しさは張り詰めている分、とても脆い。
君を見ていると極薄の硝子を思い出すよ。
飲み口は良いが、少しの刺激で木っ端みじんだ。
デリケートな分、大切に丁寧に扱ってやらないとな。
俺たちに打ち解けようと、この寺の一員になろうと、背伸びして努力する健気な様子は可愛いよ。
だからたとえ俺が焼いた皿が毎朝割れようとも、丁寧に下処理した魚が真っ黒になろうとも……まぁ許せる。俺の心は流れる水のようだからな。
「洋くん、バスが来たよ」
「あっ……」
バスに乗ろうとした時、洋くんがハッとした表情で後ろを振り向いた。
ははん、梅の香りに呼び止められたな。
アイツは色っぽい香りだからな。
「あれは蝋梅だ」
「ロウバイ?」
花には詳しくないのか、キョトンとした表情で小首を傾げた。これは教え甲斐があるな。
「蝋細工のような不思議な見た目の黄色い花をつけるんだ。その姿に似合わず香りがとても良いので俺も気に入っているよ。北鎌倉は自然豊かだろう?」
「そうですね……人目を気にせずに穏やかに過ごせます」
それは丈との同性愛を、世間から隠したいという意味なのか。
それとも誰かから、何かから……逃れたいのか、隠れたいのか。
どっちだ?
それを直接彼に聞くのは今は酷な気がして、黙ったままバスに乗り込んだ。
バスが動き出すと、ゆっくりと窓枠の向こうの景色も移動していく。
鎌倉の冬は観光という意味ではオフシーズンだが、冬ならではの良さがある。
洋くんはバスから見える風景を、綺麗なアーモンドアイを輝かせながら楽しんでいるようだった。
北鎌倉を気に入ってくれて、嬉しいぜ!
「いいもんだろう? ここでの生活は気に入ったか」
「はい、月影寺の境内には冬の花が沢山咲いていました。それから寒さを物ともせず鎮座する仏像も見事です。大気が澄み渡っているので、山の景色もはっとするほど美しいです」
「へぇ、君は物事を時間をかけて深く観察しているんだな」
「あ、あの……昔から……一人の時間が多かったので」
どこか寂しい、どこか切ない答えだった。
山道には、所々に鮮やかな黄色の花が道しるべのように咲いている。
「流さん、あの黄色い花は何ですか」
「あれ? 福寿草だよ。毎年この時期に寒さに耐えながら咲いているのさ」
「流さんは、本当によく知っていますね」
「そう? 俺、絵も描くからかな」
「絵?」
「まぁスケッチみたいなもんだ。この辺りは自然豊かで題材には事欠かないだろ」
ここらで俺の趣味について話しておくか。
もっともっと打ち解けて欲しいからな。
と思ったのに、急にバスの中が賑やかになってきた。近隣の女子中学生が沢山乗り込んできたのだ。
出た! 噂好きな目!
ほらほら、案の定、ちらちらっと俺たちの方を見て、噂話をしているぞ。
なんだ? なんだ? 耳を澄ますと……
「ねっ、やっぱり本人じゃない?」
「だよねだよね。話しかけてみようか」
「すっごく綺麗。実物は更にいいね」
へぇ、洋くんのことを噂してんのか。
そんな聞こえるように噂話してないで、直接聞けばいいじゃねーか。
チャンスが逃げていくぞ~
何やら雑誌を開いて、あーだこーだ言ってる。
気になってしょうがないので、我慢出来ずに俺から声をかけてしまった。
「君たち、何騒いでいるの?」
「えっ! きゃー この人も凄いカッコイイ!!」
「何見てんの? ちょっと見せて」
女子向けのファッション雑誌だろう。そこに大きく写っているモデルの男の子の顔に驚いた。このモデル、洋くんにそっくりだな。本人なのか。
「うわっ、洋くんモデルもしていたの? 凄い美人に映ってるな」
「違います。これは俺じゃない」
「……そっか」
明らかに困惑しているな。
洋くんは人から注目されるのが、極端に苦手なようだ。
「残念っ、本人じゃないってさ。よく似ているけどね」
「そうなんですかぁ。でも他人の空似とは思えない。もしかして双子とか、あのお名前は」
うげげ、今どきの女の子って強引だな。
洋くんの方がたじたじじゃねーか。
「まったくの人違いです。俺とは関係ありません」
洋くんはピリピリした様子だった。
あー もう見てらんねー
こういう女子には、ビシッと返せばいいんだぞ。
「本人がそう言ってるんだから、この話はここまでだ。ほらほら君たち降りるバス停だよ」
「きゃー 遅刻しちゃう」
タイミングよくバス停に着き、女の子たちが降りてくれた。
洋くんはほっとした表情で、小さなため息をついた。
バスはいつもの静寂を取り戻したが、俺はあえて確認しておこうと思った。
あまりに似すぎだ。
他人とは言えないな。
きっとあのモデルは血縁者だろう。
「で、本当に他人の空似?」
「あの、実は……俺の従兄弟なんです」
「やっぱり関係あるのか。俺は双子かと思った。なんというか……似すぎているから」
「あの……もしも双子だったら何か不都合でも?」
「いや、まるで鏡の向こうの世界みたいだな。従兄弟の彼と洋くん。この先何事もなければいいが」
なんとなく胸に沸き起こった不安を口に出すと、洋くんが真っ青になってしまった。ヤバい、脅かすつもりはなかったのに悪いことをした。
「えっ?」
「いや、洋くんと彼は従兄弟同士だから関係ない話さ。ただ……昔、双子って不吉だと忌み嫌われる時期があったから、少し心配になっただけだ。災いを招かないといいなって、あっごめん。今はもうそんな迷信は関係ないんだし、従兄弟同士だから関係ないよな。気にしないでくれ」
「双子……」
洋くんの心の声が届く。
それは、とても悲痛な声だった。
……
もう何も起こりませんように。
やっと手に入れた幸せを守りたい。
俺だって周りの人を守りたい。
俺の大切な人がいつも微笑んでいられるように、どうか、どうか……
……
視力を失った翠を介助した日々で、俺は心の声を察するようになった。
あの日聞こえなかった翠の声。
聞こうとしなかった翠の声。
それを悔やんで悔やんで、永遠に悔やんで生きていく。
そんな俺を試しているのか。
丈が連れてきた洋くんを見ていると、過去の自分が出来なかったことを、彼にはしてやりたくなる。
怯えるな。
ここは安全だ。
俺たちは君が可愛いよ。
末の弟になれよ。
翠も俺も大歓迎だ。
心の中でそう念じる。
洋くんを受け入れることで、俺は変わっていく。
翠との距離を縮めていく!
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