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光を手繰り寄せて 5
暗黒の世界に、明るい光を捉えた。
海で僕に芽生えたのは、目が見えるようになりたいという希望。そして、きっと見えるようになる予感だった。
二つの明るい思いを抱きながら、久しぶりに湯船にゆったりと浸かった。
「ふぅ、心地良いな」
いい湯加減に、弟の優しい心遣いを感じた。
いつもは風呂の介助だけは母に頼んでいたが、母が忙しい時はシャワーで済ますことも多かった。
だからこんなに明るい時間から、のんびりと湯船の浸かるのは久しぶりで、嬉しい。
「兄さん、湯加減どうだ?」
「ちょうどいいよ」
「良かったよ。兄さんはぬるめが好きだもんな」
「うん」
流がずっと優しい。
僕を心から大切に思ってくれている。
今日はとくに、それがよく伝わってくる。
だからなのか、いつになく心が軽いよ。
そのまま長時間……ぼんやりと湯船に浸かっていた。
「ん……?」
ふと何か肌に刺さるものを感じて、顔をあげた。
これは……もしかして流の視線なのか。
僕には何も見えないはずなのに、どうして分かるのか。
……今回だけでない、以前から時折感じることがあった。
僕を射抜く弟の視線の意味を知りたい。
その意味を問いたいような、問いたくないような。
湯船の中で、自分の身体を抱きしめてみた。
海で僕を支え守ってくれた逞しい腕や逞しい胸板を思うと、なんとも不思議な心地になる。
連動するように突然僕の下半身が疼き出し、激しく狼狽した。
「あっ……」
しっかりしろ、これは駄目だ。
兄弟の情を超えてしまいそうで怖い。
「……兄さん大丈夫か。そろそろ上がらないと逆上せるぞ」
「あっ……うっ、うん、そうだね」
流の手に誘導され洗い場の檜の椅子に座らされた。
すると無言でタオルを腰回りにかけられた。
僕を気遣って?
「兄さんの髪、俺が洗ってもいいか」
「えっ……自分で出来るよ」
「なら身体は?」
「だっ、大丈夫だ」
駄目だ、これ以上、僕を甘やかしてはいけない。
すると明らかに落胆した流の様子を感じ、胸が苦しくなった。
「そうだよな。向こうで待っているからあがったら教えてくれ」
「……ごめん」
「謝るな」
ごめん、流……本当にごめん。
僕は平静を保てる自信ががないよ。
情けないことだが、今、お前に触れられたら……兄としての面目を保てそうもない。
そのまま急いで髪と身体を洗って、モヤモヤとした気持ちを無理矢理、洗い流した。
告白しよう。
最近の僕は少し変だ。
月影寺に出戻ってから、実の弟に確かな甘い気持ちを抱いている。
こんな気持ちは絶対に悟られてはいけない。
父にも母にも、弟の丈にも……そして流にも。
もう認めよう。
どうやら忍ぶしかない思いが芽生えてしまったようだ。
『翠、人前で弟と仲良くし過ぎるな。悲しい別れにつながってしまうから』
このことを考え出すと、いつも僕を縛る声が聞こえる。
一体この声はどこから届くのか。
僕の声なのに、遙か彼方から聞こえる。
切ない声だ。
「兄さん、ほら、タオルだ」
「ありがとう」
バスタオルでざっと身体を拭いて、手早く腰に巻いた。
何故か恥ずかしくて、そうしたくなった。
流は何も言わなかった。
むしろ、どこかホッとしているようだった。
そのまま脱衣場で浴衣を着付けてもらっていると、流が突然口を開いた。
「兄さん、今度は海辺に泊まってみよう。後で母さんに願い出てもいいか」
「流……急にどうした?」
「さっき話しただろう? どうやら『海』は兄さんにプラスの刺激になるようだ。もう我慢できないんだよ。さっき兄さんも言ってくれただろう? 俺を見たいと! だから少しでも可能性にかけたいんだ!」
僕も流をこの目で見たいよ。
そうだ……
僕たちは、ここに留まっている場合ではない。
もう無駄な時間を過ごしていてはいけない。
せっかく今生で出逢えたのだから。
あぁ……また心の声が聞こえる。
一体僕はどうしてしまったのか。
「分かった。僕も努力するよ」
これは、進めという合図なのかもしれない。
その年の春、僕は、葉山の海辺の宿に流とふたりきりで宿泊することになった。
あとがき(不要な方は飛ばして下さい)
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じわりじわりと、ここから幸せになっていきます。
簡単には結ばれない二人ですが、じっくり見守っていただけたら嬉しいです。
この後specialゲストが登場するのでお楽しみにです。
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