光を捉える旅 1

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光を捉える旅 1

「母さん、行ってきます」 「……翠……本当に大丈夫?」 「俺がついているから心配無用だ」 「そうね、こういう時、あなたたちが男兄弟で良かったと思うわ」 「……そうだな。安心だろ?」 「えぇ、じゃあ……翠、少しゆっくりしていらっしゃい。流、任せたわよ」  今から俺は視力を失った兄さんを連れて、葉山に行く。  熱心に両親を頼み込んで、なんと一週間も休暇をもらえた。  葉山へは車を使えばそう遠くない距離だが、俺の中ではもっともっと遠くへ旅立つ気分だった。  高揚するぜ! 兄さんと二人旅できるなんてさ。  春の葉山は、きっと静かだろう。  夏のように海水浴の客で溢れていないから、目の療養にはうってつけだ。   「兄さん、シートベルトを」 「うん」 「ひとりで出来るか」 「ん……あれ?」  バックルに上手くはまらないようで、兄さんが少し焦った表情になる。 「ほら、やってやるから」 「ありがとう」  兄さんの方に身を乗り出して、シートベルトをカチャっと締めてやった。  相変わらず細い腰に胸板だ。  こんな華奢な身体で何もかも受けとめて、苦しんで、抱えきれずに自分を痛めつけて……兄さんは馬鹿だ。  切ない想いが浮かんできたので、慌てて追い払った。  それにしても素直に俺の言う事を聞いてくれるの、可愛いな。  俺のものになったような勘違いをしてしまうよ。  葉山へは俺の運転で連れて行く。  兄さんのために取った免許だ。兄さんを乗せるために買った車だ。何度か病院に行くのに乗せたが、今日は一段と慎重になる。 「あれ? 流の運転、ずいぶん穏やかになったね」 「そうか」  それは大切な人を乗せているからだ。  翠に合わせているからだと、心の中で呟いていてしまう。  それにしても二人きりの旅行するのは初めてなので、胸の内は大忙しだ。  興奮しまくっている。  何が起きるわけでもないが、月影寺から翠を連れ出して、二人で一週間も籠れるなんて最高だ!  いよいよ始まる葉山旅行。  今……兄さんの瞳に俺の表情は見えないから、声は出さず笑った。 「流、何を笑っているの?」 「えっ! み、見えてんのか」 「ふっ、ほらやっぱり笑っていた。見えないけど……空気で分かるよ。お前の周りの空気の色を感じるんだ。今はオレンジ色に見えたから」 「それは朝日が差し込んで、兄さんの顔を照らしているからだ」 「くすっ、照れなくてもいいのに」  そういう翠の白い首筋も、少し赤みを帯びているような気がした。 「……少し窓を開けてもらえるか」 「あぁ」 「……風が気持ちいいね。春風って優しいね」  翠の柔らかな淡い色の髪が春風に吹かれ、空気をはらんでいた。  その柔らかな髪に指を通して、梳いてやりたくなるよ。 「流、こらっ、よそ見しないで運転に集中して」  まるで見えるように言うのだから、ギョッとしてしまう。  兄さんは相変わらず察しがいい。  気をつけねば……  これは……俺が兄さん以上に察しがいい人になるしかないな!  明るい気持ちだ。  穏やかな気持ちだ。  幸せな時間だ。
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