光を捉える旅 5

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光を捉える旅 5

「兄さんっ、危ない!」    流の叫び声と同時に、僕の身体は波に攫われた。  突然の大波に足を取られて転んでしまったのだ。  しかも転んだ先は、想像よりも深い海の中!  見えない世界だけでも怖いのに、息が出来ないなんて恐怖だ!  動揺すればするほど、空気が逃げていってしまう。 「ゴボゴボ……っ」    必死に手足をバタつかせて藻掻くが、すぐに力尽きてしまう。  苦しい――苦しいよ、流!!  脱力した身体が落下していく。  海底に向かって。 「兄さんっ! 力を抜いてくれ! 俺を信じろ」  その瞬間、逞しい腕によってグイッと上に引っ張られ、腰を抱かれた。 「力を抜け。そうだ、浮くんだ!」 「うっ……」  そのまま海上を目指し、二人で浮上していく。  僕を抱く逞しい腕、逞しい躰!   それは僕の…… (流……流っ!)  海水を飲んでしまい声が出なかったが、砂浜に辿り着くと必死に流にしがみついて泣いた。 「心配かけんな! 勝手にどっかに行くなよ! もうっ」 (ご……めん)  ゲホゲホっ―― ゴホっ!  胸が苦しくて涙が滲み、大きく咳き込んだ。 「しっかりしろ! おいっ!」  ビクッと躰が震える。  いやだ。流……どうか怒らないで、嫌わないでくれ。  もう絶対にどこにも行かないから、傍にいさせて。  覚悟を決めて戻ってきたんだ。  ずっと北鎌倉で流の傍で生きていくと――  愛してやまない弟の傍で、生きていくと。  水を含んだ身体が重たく、頭が割れるように痛い。  暗黒の世界に引き摺られそうになった。  いやだ、もう行きたくない!  真っ暗な世界には――  でも苦しくて息が……息が出来ないよ。 「兄さん! 息が苦しいのか! よ……よしっ、待ってろ」    ふっと呼吸が楽になった。  その後、見知らぬ人の声が遠くから聞こえた。 「君たち! 大丈夫か」   **** (ん……ここは?)  気がつくとベッドの上に仰向けに寝かされていた。  どうやら宿泊先のホテルの客室のようだ。 「海水を少し飲んでしまっていたが、処置が早かったので特に問題ない。君の人工呼吸も完璧だったよ。よく頑張ったな」  人工呼吸? そうか……僕は海で転んで溺れてしまったのか。 「先生、じゃあ、どうして……どうして起きない? ずっと目を覚まさないのは何故だ?」 「そうだな……この男性は君の大切な人のようだね」 「あぁ、もちろん、そうだ」 「そうか……大丈夫だよ。君はフロントに行って胃に優しいお粥でも作ってもらって来てくれ」 「わ、分かった!」  何故、そんなに確信を持って?  流が部屋を出て行くと、先生と呼ばれる男性の声が耳元で聞こえた。 「君……聞こえているよね? 君が目を覚まさないと彼は憔悴して死んでしまいそうだ。だから早く目覚めて安心させてあげないと」  流が死んでしまう?   そんなの絶対に嫌だ!   もう二度と嫌だ!  そんな目に遭うのは……  その言葉にハッとした。  僕は今、何を言って?  遠い昔、本当にそんな悲しい出来事があったかような既視感にゾクッとした。  今日は……僕の目が見えないせいで、流まで危ない目に遭わせる所だった。  いい加減に何とかしないと。  もう逃げている場合ではない。  ぬるま湯に浸かっている場合ではない!  思い切って目を開けると、見知らぬ70歳位の男性の顔が間近に見えた。  西洋人?   彫りの深い上品な顔立ちの老紳士だった。  白衣に聴診器ということは医師のようだ。  どうして、僕、彼の顔が見えるのか。    ま、まさか! 目が見えているのか。 「よし、目を開けられたな。うん、生きる意志がしっかり宿っているな」 「あの……目が……目が見えます」 「ん? 君は視力を失っていたのか」 「はい、精神的なもので長く……光しか捉える事が出来なかったのです。でも今は見えます」 「そうか……良かったね。君が溺れた場所はそんなに深くなかったので、すぐに助けられたようだ。だが驚いただろう。きっとそのショックが逆にいい方向に作用したようだな」  驚いた。どんなに願っても回復しなかった視力が、まさかこんな事がきっかけで見えるようになるなんて。 「あの……あなたは?」 「あぁ、俺は由比ヶ浜で医師をしている。今日はたまたま往診で葉山の海岸を通りかかり何となく海辺で黄昏れていたら、溺れている君を見つけた。君の大切な人がすぐに人工呼吸してくれたから大事には至らなかった。診察したが、特に身体に問題はなかったから安心しなさい」 「あ……ありがとうございます」  やはり聞き間違いじゃなかったんだ。  人工呼吸って……流が、僕の唇に?    想像するだけで動揺して、動悸が激しくなった。   「ふっ、君たちは……失礼だが恋人同士だよね?」  いきなりの質問に、いよいよ冷や汗が流れる。  何故、そんな事を? 「ち、違いますっ」 「あぁ……そうなのか、これは失礼したね」 「流は……僕の弟ですので」 「そうか……苦しいね」  どういう意味だろう?  そうだ、それより―― 「あの、流にはまだ言わないで下さい。僕の視力が戻った事を……」 「どうして?」 「今宵だけでいいんです。一晩だけ時間を……朝になったら自分で告げますから」 「……うむ。事情は分からないが、そうしたいのなら、そうした方がいい。おっと帰りが遅くなると家の者に心配をかけるので、これで失礼するよ」 「ありがとうございます」 「現段階では君の身体に異常はなかった。だがもしも異変があったら、すぐに救急に行くこと。分かったね」 「はい……助けて下さって、本当にありがとうございます」 「俺は手助けしただけ。本当に助けたのは、君を大切に思う彼だよ」  不思議な医師だった。  優しい眼差しで、何もかも淡々と受け止めてくれた。  それに流を、僕の恋人だなんて……  そんなこと……男同士、兄弟同士であり得ないのに。  だって流は僕の実の弟だ。  だが――  少しだけ、少しだけ、嬉しかった。  不思議な気持ちが芽生えてしまう夜だった。 あとがき(不要な方は飛ばして下さい) **** 物語も佳境です。いよいよ翠の視力が……! 今日、翠を助けてくれたお医者様が誰だかお分かりになりますか。 こんな所でさりげなく彼とリンクしました! 知りたい方はこちらをどうぞ 20スター特典ですが(..;) https://estar.jp/extra_novels/25685763        
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