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光を捉える旅 6
「お粥を作ってもらいました」
「あぁ、いいね。さぁお兄さんに食べさせてあげなさい」
「あ、はい。兄さん……起きたのか。もう大丈夫か」
ドキっとした。
視力が戻って来たので、流の顔がはっきりと見えた。
こんな表情で、いつも僕を見てくれていたのか。
僕に接してくれていたのか。
流……大人になったな。
表情に深みが出て、以前より落ち着いていた。
以前は自分の感情を持て余し爆発させることが多かったのに、今は堪えている。ぐっと我慢している。
それがひしひしと伝わってきて、無性に切なくなった。
「さてと、私はそろそろ帰るよ。そうだ……これは私の診療所の連絡先だ。何かあったら、いつでも気軽に連絡してくれ」
僕を助けてくれた人が、流に挨拶している。
どうやら名刺をもらっているようだが、視力が戻った事はまだ密なので明後日の方向を向いていた。
「今日は兄を助けて下さってありがとうございます。恩に着ます」
「いや、お兄さんを助けたのは君だよ。君も……この先、大変だと思うが、何があっても信じた道を歩むといい。意味があっての今なのだから」
「……はい」
やはり不思議なことを言う人だ。
大きな山を越えたことのあるような、卓越した言葉を残して去っていった。
****
「兄さん口を開けて。ほら、あーんだ」
「……」
むっ、無理だ――
目が見えない時は出来たのに、今は猛烈に恥ずかしい。
それを気付かれないように、素知らぬふりをするのにも限度がある。
「……もういい」
「どうした? 何だか妙に顔が赤いな。もしかして熱が出てきたんじゃ?」
流の手が僕の額に躊躇いもなく伸びてくる。
避けたかったが、ぐっと堪えた。
「ふむ、熱はないようだが、どうしてこんなに赤いのか」
「……気にしすぎだよ。まだ……食欲がないんだ。もう眠りたい」
「だが海に落ちたままの身だ。気絶している間にざっと清めたが、風呂に入れそうか」
「えっ」
「無理なら、俺が蒸しタオルで拭いてやるが」
これ以上、流に何かしてもらうのは耐えられそうもない。
久しぶりに僕の瞳に映った逞しく成長した流の姿に、胸の動悸が激しくなるのを感じていた。
何だろう、この感情――
「自分でシャワーを浴びるよ」
「じゃあ行こう」
「え?」
流が僕の腰を抱くように起こしてくれる。
目が見えなかった時は気にしなくなっていた動作の一つ一つを、意識し過ぎて変になる。
「本当にどうした? 今日は少し変だな。やっぱり溺れたのがショックだったんだな」
流が辛そうな目で、僕を見ている。
あぁやっぱり……いつもそんな目をさせていたのか。
ごめんな――
僕の心が弱かったからお前を長年苦しめた。
今日の事で、一気に目が覚めたよ。
流を失いたくない。もう二度と……
だから僕は自ら目覚める。
視力が戻ったのもその意志の表れだ。
「兄さん、いいか。ここがシャワーでここは温度調節。ここには絶対に触れるなよ、火傷しちまうからな」
「分かった。流はもう向こうに行っていいよ」
「大丈夫か」
「大丈夫だ。頼む……」
流の前で真っ裸になるのは、やはり躊躇われた。
あの熱い視線を浴びたら、今の僕はおかしくなりそうだ。
流も僕の気持ちを察して、静かに扉を閉めて出て行った。
だが磨り硝子の向こうで、じっと待機しているのが見えた。
一枚の扉が僕らの境界線のようで、ふいに泣けてきた。
すぐ傍にいるのに、流の匂いがするのに……
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