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一途な熱 4
夏休みも終わり、今日から二学期が始まる。
俺は今日から寺から徒歩で15分程の地元の公立中学校に通う。
食卓に着くと、もう身支度を整えた翠兄さんが、朝食を食べていた。
冷たい牛乳を飲んでいる兄さんの口元につい目が行ってしまうのは何故だろう。ゴクリと小さめな喉仏が上下する様子をじっと見つめていると、兄さんと目が合った。
「おはよう、流」
優しく微笑んだ美しい目元にクマが出来ていたのを、見逃さなかった。
寝不足みたいだ。
疲れた顔している。
きっと慣れない生活をスタートしたからだな。
兄は寺を跡を継ぐと宣言した翌日から、この家の誰よりも早く起きて身支度を整え、寺の山門を開け境内を清掃し、父と共に朝の読経をしている。
まだ明け方、隣の部屋から物音が聞こえ、暫くすると廊下を静かに歩く音がする。
俺は毎朝、その音を聞く度に、兄が遠い所にいってしまったようで切ない気持ちになった。
「流は偉いね。最近は一人で起きられるようになったんだな」
「当たり前だ」
「そうか」
疲れている兄さんに、これ以上の負担をかけるわけにはいかない。
だからだと心の中で呟いた。
「そうだ、今日から新しい中学校だけど大丈夫か」
「あぁ、前より近くなるし、嬉しいよ」
「僕も途中まで同じ道だから、一緒に出よう」
「んっ」
兄さんの方は、まるでこうなるのが分かっていたかのように、中学受験で鎌倉にある中高一貫の男子校を受験していた。だから今まで下りの電車で一時間かけて通っていたのが、徒歩で行けるようになった。
その点は良かった。
どんどん綺麗になっていく兄さんを、一人で電車に乗せるのが心配だったから。
「じゃあ、行ってきます」
「ちょっと待って、流、一人で大丈夫なの?」
「当たり前だろ。母さんとは昨日一緒に挨拶に行ったし」
「そうだけど……翠、流のこと頼んだわよ」
「はい、分かりました」
母親って結局は過保護なんだな。
俺はそんなことよりも、兄と肩を並べて学校に行けるのに夢中になっていた。
兄の制服が朝日に照らされて眩しかった。
私立校らしい仕立てのよいグレーのズボンに白いシャツの夏服がよく似合っている。冬服の学ランも良かったが、夏服もいい!
清潔な雰囲気が溢れ出る綺麗な兄と肩を並べて歩けるのが誇らしい。
俺と兄は、なんとなく二人とも上機嫌で国道沿いの細い道を並んで歩いた。
「暑いね……」
まだ残暑が厳しく、朝だというのに額から汗が滴り落ちて来た。そして日陰に入ると緑の匂いが一層濃くなる。そんなむせ返るような緑の中、兄の細い首筋に透明な汗がすっと流れ落ちていくのを、そっと見つめていた。
「おーい!」
その時、後ろから声がした。振り向くと兄と同じ制服を着ている男子学生が近づいて来た。
誰だ? 悔しいが俺よりも背が高くゴツい奴だった。
こういう時って二学年差が嫌でも身に染みる。
「達哉、おはよう」
どうやら兄さんの友人のようだ。
兄さんは俺に見せるような甘い笑みを返した。
ちょっとムッとしてしまう。
「翠、おはよう。そうか今日から徒歩通学になったんだな」
「うん、夏休みの間に北鎌倉に引っ越してきたからね」
「嬉しいぜ! これから一緒に行けるな。で、こいつ誰?」
その男に怪訝そうな顔で振り向かれ、ますますムッとしてしまった。
なんだよ、兄さんを気安く呼び捨てにして。
しかも俺の心を読み取ったかのように、そいつはフフンと鼻で笑ったような気がした。
「僕の弟の流だよ。今日から北鎌倉中学に通うから一緒に行く所」
「へぇ~ お前が翠の弟なのか。なんだか全然似てないな」
「なっ、なんだよ!」
「ははっ、怒んなよ。兄さんとは随分性格も違うみたいだな」
「……ごめんね、流、ほら挨拶しないと」
「……」
「あっストップ! お前の学校はあっちだぜ」
返事もろくに出来ず、無言で歩いていると呼び止められた。
指さされた方向を見ると、確かに左に曲がった先に中学の校門が見えた。
「流、大丈夫? やっぱり僕が職員室まで付き添おうか」
翠兄さんが心配そうな顔で覗き込んでくるので、無性に恥ずかしくなった。
兄さんは、一体いつまで俺を子供扱いする気だ?
「大丈夫だ。一人で行ける! もう兄さんは行けよっ!」
違う! こんな風に言いたいわけじゃない。
どうしてこんな乱暴な言葉が出てしまうんだ?
言ったのは自分の癖に、ひどく悲しい気持ちになった。
「そうか……じゃあここで、気を付けて」
「あぁ」
ぶっきらぼうに答えると、兄さんは少しだけ寂しそうな表情を浮かべていた。
兄さんにあんな口を聞いてしまうなんて、最近の俺は何かにイライラしている。あたるなんて最低だ。校門に向かって少し歩いたものの、やっぱり「ありがとう」と言いたくて勇気を出して振り返ったら、兄さんはさっきの男に肩を組まれて歩いていた。
なっ、なんだよ! 慣れ慣れしいな!
ズキンっ
胸が痛い。
痛くて痛くてしょうがない。
こんな光景見たくない。
俺の兄さんだ!
気安く触るな!
そう叫びたい気分だった。
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