光の世界 4

1/1
前へ
/239ページ
次へ

光の世界 4

「翠や、お前はまだ病み上がりの身だ。どうか無理だけはしないでおくれ」 「はい、お父さん」  父の確かな愛を感じた。  会社員だった父が月影寺の住職を継ぎ、僕も仏門入りたいと願った。  大学受験で跡目を目指す覚悟を決めてからは、師匠と師弟の線引きもあり、遠い存在になっていたが、今日はとても近く感じる。 「翠は幼い時から聞き分けの良い、大人びた子だったな。そんなお前が突然月影寺捨て……森家の婿養子に入ると宣言した時は驚いたよ」 「すみません。僕は……とんでもないことを浅はかにしてしまいました」  項垂れると、父が導いてくれた。 「翠、そうではない。私は今、目の前にいるお前の顔を見て、全て受け入れられたよ。さぁ俯いていないで顔を上げなさい」 「はい」  父の表情はどこまでも穏やかで慈しみ深かった。 「翠も後で自分の顔を鏡に映してみなさい。以前よりずっと深い、趣のある風情になったと気付くだろう。東京の生活でかなり苦労したようだな。大変だったな。だがそれを糧に人として大きく成長した戻ってきたな。今までのように言われたことをただ守るだけでなく、進むべき道を自問自答してきた顔だ。苦しみを苦しみだけで終わらせない努力をした顔だ」 「お父さん……」  (なじ)られる覚悟だった。  呆れられて破門されるかもしれないとの不安もあった。  親子の縁を切られてしまうかもと怯えていた。  だが、すべて杞憂に終わった。  大きな愛で包まれていることを実感した。 「流に頼んで、袈裟を出してもらいなさい」 「あ……はい」 「着替えたら、久しぶりに共にお経をあげよう」 「はい!」   ****  本堂で翠が父さんと話している間中、気になって仕方がなかった。  父さんの気持ちひとつで、兄さんの立場が変わってしまうからな。父さんに限って見捨てるはずはないと思いつつも、一度兄さんは月影寺の跡目を自ら捨ててしまった。厳しい仏門の世界、それを父さんがどう判断するのか心配だ。  最初は庭を箒を持ってうろうろ、次に廊下を雑巾を持ってうろうろ。  待てど暮せど、兄さんはなかなか出てこない。  待ちきれなくて本堂にいよいよ踏み込もうとした瞬間、襖がすっと開いた。  兄さんと至近距離で目が合う。  しっかりと交わる視線。 「流、ずっといてくれたのか」 「あぁ、俺が必要かと思って」  こんな言い方まずいか。  兄さんの負担になるかと思いつつも、必要でありたいと願う心が爆発しそうだ。 「うん、必要だ」 「え……」  意外な返事が返ってきた。 「父さんが袈裟に着替えてくるようにって……」 「おぉ! そうか! よかった! 兄さんの袈裟なら全部俺が手入れしている。衣装部屋にあるから、いつでも着られるぞ」 「そうか、ありがとう」  兄さんが前を見据えて、背筋を伸ばしてスタスタ歩き出す。  今は僧侶としての顔つきだ。  行ってしまう。  俺の手をすり抜けて――  ならば、それを俺は背後から見守っていこう。  進むべき道は同じなのだから受け入れよう。  だが……  思わず翠の背中に伸ばした手は、空を掴んだ。  そのまま下ろして立ち尽くしていると、また兄さんが振り返ってくれた。 「流、何をしている? いつものように僕の着替え、手伝ってくれないのかい?」  一気に目の前が明るくなった。  一気に心が躍り出す。  兄さんこそ、俺の光だ!
/239ページ

最初のコメントを投稿しよう!

881人が本棚に入れています
本棚に追加