光の世界 12

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光の世界 12

 携帯電話を握りしめながら、暗い溜息をついた。  芝生では流と薙が大型犬と子犬のようにじゃれあっていた。  すっかり意気投合して、楽しく過ごせているようだ。  薙の笑顔を、この目で再び見られて嬉しいよ。  それだけで満ち足りている。  だが面会交流時間は限られている。  きちんと守らないと、次がなくなってしまう。  それだけは絶対に嫌だ。  だから幸せな時間に、幕を下ろすのは僕の役目だ。  膝の上で、きつく手を握りしめた。  情けない。  男として父として……  僕はどうしたって、不甲斐なさ過ぎる。  暗い表情のままゆらりとベンチから立ち上がると、流も何かを察したようにムクリと起き上がり、僕を真っ直ぐ見つめた。 (もう、時間か) (うん……時間だ)  すっかりアイコンタクトで通じるようになった。  月影寺に戻ってきてから、流は僕の感情の起伏に敏感に寄り添ってくれる。   「よしっ、薙、そろそろ帰るぞ」  僕が言い出すより先に、流が口を開いた。 「えー やだやだ、もっとあそぶ」 「また遊ぼう」 「やだやだ、かえりたくないよ。ぜったいにやだ」    あぁ、予想していた通りの展開になっていく。  小さな薙の必死な訴えに切なさが募るよ。 「俺ももっと遊びたいさ」 「どうして、だめなの?」 「……約束だからさ」 「おやくそくなんてきらい」  薙が僕の元に走ってきて、必死に訴える。  僕の太股あたりを小さな拳でドンドンと必死に叩いている。  心が震える。 「パパ、パパ、なぎかえりたくないの! パパ、おねがい」 「薙……ごめん。本当にごめんよ。ママが心配してしまうから帰らないと」 「……ぐすっ」  薙は泣くものかといった表情で、ゴシゴシと目を腕で擦った。  くやしそうな顔が、見え隠れする。  僕そっくりな顔なのに、こんなに幼いのに、強い意志が宿っていた。  力強さをこの子は持っている。  あぁ、こんな所も流の幼い頃にそっくりだ。  薙と一緒に暮らしていた頃には気付けなかったことばかり見えてくるのは、何故だろう?  それは今だからなのか。  流が近づいて、薙を高く高く抱き上げてくれた。 「薙、いいか、今日俺と遊んだことは内緒な」 「……ナイショ?」 「そうだ、男同士の秘密だ」 「ヒミツ!」 「約束は守れるか」 「やくそくまもるよ!」 「よし、じゃあママとの約束も守らないとな」 「う……ん。わかったよぅ」  薙の機嫌が少し上向いた。    流、ありがとう。 「よし、じゃあパパと手をつないで行け」 「うん、パパぁ」  薙が僕と再び手を繋いでくれた。  僕ひとりでは何も出来なかった。  この手をもう一度繋いでもらうことは叶わなかっただろう。  流の存在が、こんなにも心強いなんて。  本当に来てくれてありがとう。  秋風寺の門前には真っ赤な車が停まっており、彩乃さんが鬼の形相で立っていた。 「いやだなぁ……ピアノなんて……」  ぼそっと呟く息子に何もしてやれない。 「翠さん、遅い! やだ、どこに連れて行ったの? 芝生だらけじゃない。これからのピアノの先生のお宅に行くのに汚いわ」  僕はどう言われてもいいが、薙を汚いとは言わせない。    流石に言い返してしまった。 「薙は男の子なんだ。外遊びも必要だよ」 「まぁ、翠さんがそんなこと言うなんて、どういう風の吹き回し? 子育てなんて興味なかったくせに、いつも上の空だったのに!」  何を言っても、結局そこだ。  過去は変えられないのは僕だって分かっている。  過去の僕に非があったのは認めざる得ない。  結局……彩乃さんは過去から出てこない。  そこで堂々巡りするつもりなのだろう。 「薙、行くわよ!」 「……うん」  奪うように薙を車に乗せて行ってしまった。  冬でもないのに、僕の周りには木枯らしが吹いているようだ。  暫く荒涼とした気持ちで立ち尽くしていると、そっと影から流が現れた。 「兄さん、俺たちも帰るぞ」 「流……」 「……今日はついてきて、出しゃばって悪かった」  流が頭を下げたので、僕は首を横に振った。 「そんなことない、流が来てくれて嬉しかったよ。流がいなかったら……僕は何も出来なかった。薙の笑顔も見られなかった」  幼い薙は必死に涙を堪えたのに、僕は駄目だな。  歩きながら、堪えきれなかった涙をそっと指先で拭った。  そのまま無言で満員電車に乗った。  休日の下り電車は都内で遊んだ人で、賑わっていた。  人混みの中、僕の背後にはずっと流がいた。  電車の揺れでよろけそうになると、さり気なく支えてくれた。  寂しさも悔しさも無言で受け止めてくれた。  北鎌倉で下車し、黙々と坂道を上った。  やがて月影寺が見えて来ると、流が立ち止まった。  僕の前にたちはだかる。 「兄さん、頑張ったな」 「流……」 「泣きたかったんだろう。ここを貸すから、ここで……泣けよ」  流がぎこちなく腕を広げてくれる。  僕は弟の胸元で、少しだけ泣いた。  弟の温もりはとても落ち着くので、心を取り戻していく。  この境遇は過去の僕が招いたものだが、この先は今の僕が作っていくものだ。  今の僕には流がいてくれるから、乗り越えてみせる。  進んで行こう。  道は真っ直ぐに続いている。  世界には流という光が存在する。  それが今の僕の救いだ。                           『光の世界』 了
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