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波の綾 5
むせ返るような男の汗と雨の匂いに目眩を覚える。
僕はどうかしている。
弟の……
裸の胸に抱かれ、こんなにも神経を昂ぶらせるなんて。
激しい雨よ、どうか僕のこの胸の濁流のような音をかき消しておくれ。
感情が混沌としていく。
まさか、今日こんな状況に陥るなんて……
予期せぬ出来事だ。
目が見えない時とは訳が違う。
何もかも鮮明に見えるんだ。
どこに感情を落ち着かせればいいのか分からず、恥ずかしさと嬉しさが忙しくなく身体の中を巡っているのだけは理解出来た。
流は汗はかいているが、呼吸は乱れていない。
どれだけ精進すれば、このような力がつくのか。
僕だって流よりは華奢だが、男の身なのに。
こんなに軽々と担いで下山するなんて、ありえないよ。
「雨、止んできたな。おーい、さん、生きているか」
流がわざとおどけた調子で聞いてくる。
気まずさを薙ぎ倒してくれる。
「流、頼む。もう下ろしておくれ。この先は人が……」
「分かっているさ。兄さんに恥はかかさない、安心しろ」
地上に降りると、雨はもう殆ど止んでいた。
「まったく無茶をして……こんなに濡れて」
「俺は大丈夫さ、兄さんが無事で良かったよ」
「うん、ほとんど濡れずに済んだよ。ありがとう」
しかし作務衣一枚隔てるだけで、こうも違うのか。
「流の作務衣は、まるで水を弾くようだね」
「あぁ、これは撥水加工を施した生地を仕立てているから生地が水を弾くのさ。庭仕事に良さそうだと思って作ってみたが、まさか兄さんの雨合羽になるとはな。ははっ」
腰に手をあてて豪快に笑う流の姿は、雄々しく逞しかった。
流石僕の流だ。
そう呼びかけ労ってあげたくなった。
弟への異常な独占欲。
いい加減にどうにかしないとならないのに……逆に日に日に募るばかりだ。
「流……ありがとう。僕のために無茶をさせたな」
「いや、兄さんのために出来ることがあって嬉しいんだ。気にするな!」
「と、とにかく、早く……何か着ておくれ」
筋骨隆々の上半身が、男の色気を醸し出している。
直視出来ないよ。
僕の小さな弟だったのに、いつの間にこんなに逞しくなって。
「流、大きくなったね。心も身体も……」
「あぁ……兄さんに見合う男になりたくてな」
「流……」
「ずっと一緒にいるんだろう? 俺たちは」
「その通りだ、月影寺で生きていこう」
「御意」
ただ……ただ……愛おしさが募る瞬間だった。
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