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波の綾 11
僕は流の手の甲に頬をあて、静かに涙を流した。
その間、海里先生は深い眼差しで静かに見守って下さった。
先生……
僕たち実の兄弟です。
越えてはいけない壁があります。
この先は禁忌に触れるのです。
まして僕は仏門を歩み住職を継ぐという身の上、決して冒してはならないのです。
ですが生涯弟と一つ屋根の下で過ごすこと、心身共に支え合っていくことを約束しました。
これは許されることでしょうか。
極限まで、この弟を愛したいのです。
心の中で訴えた。
すると……
「苦しい恋をしているね」
「恋……ですか」
「あぁ俺の眼には、確かな愛が見えるよ」
「……」
もう否定はできない。
「俺にはどうすることもできないが、話を聞くことは出来る。少し距離のある人に話すことで、心が楽になるかもしれない。切羽詰まった時は、俺の家に遊びにおいで。痛い治療なんてしないよ。ただお茶を飲んで話を聞くだけだ。俺のパートナーと一緒に」
『パートナー』とは、今の日本ではまだあまり聞き慣れない言葉だ。
「ん? あぁ聞き慣れないか。欧米ではメジャーになってきているが、つまり長く人生と共にする相手をパートナーと呼ぶんだ。君と流くんも、そう言えるのでは?」
「あっ……」
僕と流の関係に名などないと思っていた。
「少しは元気が出たか。もう涙を拭を拭きなさい。君の涙はとても悲しい過去を持っているようで、弟くんが心配するよ。弟くんが元気な時にならいいが、今は……」
「はい、そうします」
「いいね。では一度起こして薬を飲ませてあげなさい。喉が痛いのも高熱も今日が峠で、明日にはきっとぐっと良くなっている。弟くんは強靱な体力の持ち主だからね。彼は長生きするよ。俺には分かる」
少しだけ海里先生の顔色が曇った。
「あの……」
「待っているよ。俺はもういい歳だから時間が無限とは言い難い。だから出来るだけ早くおいで」
「はい。ぜひお邪魔させて下さい」
居間で待っている柊一さんを、海里先生が迎えに行く。
「柊一、待たせたね。もう終わったよ」
「患者さんはご無事ですか」
「あぁ大丈夫だ」
「良かったです。翠さん、あの……僕の弟はずっと身体が弱かったので、お気持ちをお察します。大切な弟さんが病に倒れると居ても立ってもいられないものですよね。どうか、どうかお大事に」
「ありがとうございます」
これはまた……
清らかな天使のようなお方だ。
神社仏閣より教会が似合う。
両親も出てきて、海里先生に何度も頭を下げた。
その度に海里先生は、「当たり前のことをしただけですよ。困っている人がいたら助けるのが仕事ですのでお気になさらずに」と微笑まれていた。
母は、その華やかな白薔薇のような笑顔にすっかり魅了されたようだ。
翌朝、流の声で目が覚めた。
「兄さん、そんな所で寝るなんて、また風邪をひくぞ」
「流! もう熱は下がったのか。喉は痛くないか」
「あぁ、だいぶいい。身体がすっと軽くなった」
流石、僕の流だ。
僕だったら何日も寝込むことになるのに……
流は病を跳ね飛ばした。
「流……心配かけて……心配したんだ」
熱も下がっていた。
元気そうな姿で僕の前にいてくれることに、ほろりと涙が零れてしまうよ。
「兄さん、俺のために泣いてくれるのか」
「ほっとしたんだ。普段熱なんて出さないから」
「あぁ、悪い。油断したようだ。心配かけたな」
流がそっと手を伸ばして、僕の涙を指で拭ってくれた。
僕はそれだけで、やっぱり泣いてしまいそうだ。
「俺の前では泣いていいよ。兄さんが泣ける場所でいたいから」
優しい言葉、頼もしい言葉。
僕はもう二度と流と離れない。
流は長い人生を生きていく希望だから。
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