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入相の鐘 7
「兄さん、着いたよ」
「あ、僕、ずっと、ぼんやりして……」
「気にするな。俺はどんな翠でも大丈夫だ。さぁ降りて」
「うん……流は?」
「……俺はここで待っている。海里先生には連絡してあるから心置きなく話して来るといい」
その時になって漸く、流と合わせる顔がなくて渋谷からずっと窓の外を見ていたことに気付いた。
「流、本当に……すまない」
僕は思いきって流の方を向き、じっと流の瞳の奥を覗き込んだ。
流の瞳は澄んでいた。
先程、故郷の海を見た瞬間、涙が込み上げて人知れず泣いてしまった。だがそれが良かったのか……澱んだ視界を涙が洗ってくれたようだ。
流の顔をちゃんと見つめられる。
彩乃さんと繰り広げた行為が心苦しく、軽蔑されてしまうのではと怖かったが、流の態度は行きと何も変わらなかった。
何度も『どんな翠でも受け入れる』と言ってくれた。
その言葉が支えになった。
その言葉がなかったら、僕は自暴自棄になって戻って来られなかったかもしれない。
流がふっと微笑んでくれたので、心の底から安堵した。
「やっと俺を見てくれたな」
「すまない」
「いいんだ。今、見てくれたから」
「海里先生の所に連れて来てくれてありがとう。必ず流の元に戻ってくるから、ここで待っていてくれるか」
「あぁ、もちろんだ」
診療所の呼び鈴を押すと、白衣姿の海里先生がすぐに出迎えてくれた。
「すみません、突然……」
「いや、そろそろかと待っていたよ。さぁ中にお入り」
「はい」
温かいハーブティーを出してもらったので、そっと口に含んだ。
身体と心の強ばりが解けていくようだ。
「どうだ?」
「林檎のような甘い香りで、優しい味わいです」
「それはカモミールだ。カモミールにはリラックス作用やストレス軽減作用があるから、心を落ち着かせてくれる。俺も仕事の合間やリラックスしたい時に好んで飲んでいるよ」
「確かに、とても落ち着きます」
しばらくの沈黙の後、海里先生が僕の真正面に座った。
「翠くんの心がざわついているようだ。俺は精神科医じゃないが持て余す心の置き場は提供できるよ。どうする?」
「あ……あの……ここに置かせていただけませんか。今日僕がしたことは月影寺には、どうしても持ち帰りたくないんです」
甘えてしまった。
縋ってしまった。
「甘えていいんだよ。ここでは誰も君を非難しないし、秘密は必ず守られる」
僕はその言葉に促され、ぽつりぽつりと苦しみを吐き出せた。
別れた妻に息子を引き合いに出され、せざる得なかった行為。
心は冷めているのに身体が反応してしまったこと……
話しているうちに息苦しくなってきた。
すると海里先生が僕の背中をさすってくれた。
「とても深い事情のようだ。いろんな過去が折り重なって……翠くん、君はずっとそれに耐えてきたんだな」
「あ……」
克哉くんとのことはまだ話していない。
流へ沸き起こる不思議な気持ちのことも……まだ。
それなのに、海里先生という人は全てを受け入れる広い海のように、両手を広げて僕の言葉を受け止めてくれた。
「少しずつでいいから、苦しみを吐き出しにおいで。大丈夫だ、君の心は壊れない。流くんが傍にいる限り――」
そして、僕が一番欲しかった言葉を下さった。
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