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一途な熱 8
ハァハァと肩で息をして、寺の山門を潜った。
日の暮れた寺の庭は朝と雰囲気がガラッと変わって、薄暗くどこか物寂し気だった。
走ったせいで汗が首筋を伝って流れ落ちるのが不快だったので、僕は制服のシャツのボタンを一つ外し、外気を入れようとパタパタと仰いだ。
「ふぅ、9月といってもまだ蒸し暑いね」
暫く歩くと、弟たちの部屋に灯りがついているのが見えたので、母屋には寄らずまっすぐ離れに向かった。
「ただいま」
弟の部屋の襖を開いて声を掛けると、本を読んでいた丈が顔をあげて「……お帰りなさい」と淡々と返事をした。
「本を読んでいたのか。丈は今どんな本を読んでいるの?」
手元の分厚い本は、小学生が読むには細かすぎる文字だった。
かなり幼い頃から、丈はいつも一人で本ばかり読んでいる。だからせっかくの男三兄弟なのに、賑やかに庭を駆け回って遊んだ記憶が殆どない。
「別に、いちいち言う程の内容じゃないから」
「そっか………あっ、そうだ、小学校はどうだった?」
「別に……普通だよ」
「そうか……いろいろ、おいおいだね」
きっとまだ友達どころじゃないよね。丈のこのテンションの低さかた推し量った。
兄として励ましてやりたくて、丈の頭を流によくやるようにクシャッっと撫でると、思いっきり嫌そうな顔をされ、手で振り払われてしまった。
「あ……ごめん、つい…」
丈は感情を表に出すのが苦手なのか、なかなか僕に懐いてくれない。それでも心の奥底では、きっと……僕たちと交流したいと思っているはずだ。だから僕も根気よく、こうやって声をかけている。
「あれっ、流はどこ?」
そういえばいつも賑やか過ぎる流がいない。キョロキョロと部屋を見まわすと、丈が無言で部屋の隅の布団を指さした。流の勉強机の脇に敷きっぱなしの布団は、人型にこんもりと盛り上がっていた。
やれやれ……流は流で何かあったのか。流が布団に頭まで潜っている時は要注意だ。小さい時から自分の感情を持て余す時は、いつもこうやって布団に逃げ込んでしまう。
「流……」
布団の上から丸まっている背中を、優しく諭すように撫でてやる。触れると、驚いたように背中がビクッと揺れたのを感じた。ややあって、くぐもった声が聞こえた。
「……翠兄さん、帰って来たのか」
「うん、遅くなってごめんね。どうした? 学校で何かあった?」
「なんでもないっ!」
「でも、朝も機嫌悪かったし……心配だよ」
「いいから、放っておいてくれ!」
****
優しく諭すような翠兄さんの声が、布団越しに聞こえた。
いつもならこの優しげな声に誘われるように布団から出て、一日の愚痴を聞いてもらうのに、今日はそれは絶対に出来ない。
だって俺がさっき兄さんの部屋でしたことは、あまりに変態じみている行為だったから。
兄さんをオカズに抜いた!
なんて、口が裂けても言えない。
「りゅーう、出ておいでよ。さぁ、お兄ちゃんと話そうよ」
そんなことを知らない兄さんは、いつものように優しい言葉と甘い声で俺を誘惑してくる。
「……もう夕食の時間だよ。お腹空いたんじゃないかな?」
「いらねぇよ! 子供扱いすんなよ!」
本当はさっきから腹もグーグーなっているのに、優しくされればされるほど突っぱねてしまう。
兄さんも俺のふてくされが長丁場になりそうだと判断したのか、深い溜息が布団越しにまで聞こえた。
「……じゃあ僕は先に着替えて来るから、その後また来るね。一緒に母屋に行こう」
兄さんが襖を開けて出て行く足音がした。
(ちょっと待て)
その時になって、自分が仕出かした一大事に気づいた!
(ヤバイっ! さっきのティッシュと写真そのままだ!)
そう思った瞬間、俺は布団を蹴とばして、凄い勢いで兄さんに部屋に滑り込んだ。
「わっ、何? 驚いた!」
兄さんの肩にぶつかってしまい、兄さんがよろめいた。
しかも振り返った兄さんの姿にギョッとした。
シャツを脱ごうとしていたらしく白い胸元が露わになっているのが見えて、一瞬また血が上った。
いや、今はそれよりも先にやる事がある!
ぶつかったことを謝りたいところだが、ごめん! 非常事態だ!
丸めた白いティッシュと兄さんの写真が薄暗い窓辺に転がっているのを確認し、慌ててそれを拾い上げ、そのまま掃き出し窓から庭へと裸足のまま飛び出した。
「流! どこへ行くの? 待って!」
兄さんが驚いて呼び止める声も無視して、まっしぐらに俺は庭をひた走った。
格好悪い、格好悪すぎだ!
俺は……結局まだまだ子供なんだ。
何をしても上手くいかない。
くそっ!
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