街宵 11

1/1
前へ
/239ページ
次へ

街宵 11

 ぐっしょりと寝汗をかいて目覚めた。  汗をかけば一時的に熱は下がるので、気分は少しだけ良くなっていた。  そこで上半身を起こすと、溜息が出た。 「……情けないな」  30を過ぎた男が、風邪を引いて寝込むなんて。    そこにノック音が…… 「翠、起きているの?」 「あ、母さん……はい、今起きた所です」  母さんが水を持って入ってきた。 「具合はどう?」 「……少し楽になりました」 「あら、酷い寝汗をかいたのね。冷やすと悪化するから早く着替えないと……ええっとパジャマどこだったかしら?」 「……箪笥の一番上の引き出しです」 「あなたのことは流に任せっきりだけど、今日だけは母親らしいこともさせてね。さぁ着替えて……手伝う?」  張り切ってパジャマと下着を持ってきてくれたが、僕は母の目の前では着替えることは出来ないので、首を無言で横に振る。 「あ、そうよね。じゃあお粥を作ってくるわ」 「すみません」  僕の胸の火傷痕は、母にはどうしても見せたくなかった。せっかく綺麗な身体に産んでもらったのに、こんな醜い傷をつけてしまい申し訳ない気持ちで一杯だ。  駄目だ、落ち込むな、翠。  こんな時は海里先生の言葉を道標に。  いつか消える、きっと消える、そう信じて……顔を上げて生きていこう。  海里先生から有益な治療方法を聞くことは叶わなかったが、先生の言葉は、僕に希望を抱かせてくれた。  パジャマを着替え終えると、どこからか可愛い笑い声がした。  僕の息子、薙の声と似ていた。  そんなはずはない。  今頃、流と渋谷で会っているはずだ。    そうか、幻聴が聴こえる程、僕は会いたいのだ。  何日も前から楽しみにしていたのに、よりによってこのタイミングで熱を出すなんて、なんとも間が悪い。    それにしても、ひと月にたった1日しか会わせてもらえないなんて――  薙の成長に僕が追いつけないよ。    どんどん成長していく薙は、最近あまり僕と話してくれなくなった。  まるで昔の流のように――  でもね、どんな薙でもいいよ。  薙は、僕の大切な息子には変わりないから。  鏡に映る僕の顔色は、冴えなかった。  くたびれた顔をしているな。  きっと精進が足りないのだ。  父にも「翠は何をそんなに焦る? 一歩一歩踏みしめて歩まないと思わぬ所で足をすくわれるぞ」と窘められたばかりなのに、風邪を引いたせいで昨日今日と迷惑をかけてばかりだ。  本当に僕は不甲斐ない男だ。  駄目だな、流がいないと……僕はこんなに弱くなってしまうよ。  気持ちを入れ換えたくて窓を開けようとした時、竹林の庭を流と薙が楽しそうに歩いているのが見えた。 「えっ?」  一瞬、これも幻覚だと目を擦ったが、何度瞬きをしても二人はそこにいる。  夢ではなかった。  どうして、ここに?  流が連れて来てくれたのか。  薙もここに来たいと思ってくれたのか。  僕の心臓はどんどん高鳴っていく。  今日はもう会えない。来月まで会えないと諦めていたから嬉しい。  慌てて布団に潜って、それから起きて……  薙が来たら何を話そう? あ、でも僕は熱があるから会えないのか。  あれこれ考えていたら、またクラクラしてしまった。     具合が悪くなったのではなく、嬉しさで鼓動が早くなっているようだ。  参ったな。  我が子に会えるだけで、こんなに胸が高鳴るなんて。  一緒に暮らしている時は、そんなの当たり前だと、いつまでもすぐ傍で成長を見届けらると思っていた。  窓にコツン、コツンと小石があたる音がする。  これは帰宅が遅くなった流がよくした合図だ。そっと窓から顔を出すと、薙は照れ臭そうにさっと流の後に隠れてしまった。  だが薙の気持ちは届いた。  僕のことを心配してくれてありがとう。  会いに来てくれてありがとう。  ありったけの気持ちをこめて、微笑むと、流の声が届いた。 「兄さん、起きていたのか。熱下がったなら、少しそっちに行ってもいいか」 「うん、今は下がっているよ、でも風邪をうつしてしまうから、窓越しで……」 「んなこと言うなよ。そっちに連れて行く」  こういう時、多少強引な流に救われる。 「僕も少しでもいいから薙に会いたい。ずっと会いたかったんだ」  言葉は惜しむことなく伝えよう。  僕には会える時間も機会も限られているから。 「よかったな、薙」 「う、うるさいなぁ」 「ははっ、薙は俺に似て素直じゃないな。まぁいい。お前くらいの時、俺もそんなだったさ」  僕と薙だけでは深刻になってしまうシーンも、流は軽々と跳び越えてくれる。  その後、部屋に流と薙が来てくれた。  薙は相変わらず恥ずかしそうに外方を向いていたが、「父さん、早く治るといいな」とぼそっと呟いてくれた。  すっかり大人びた話し方をするようになったが、そんな大人ぶるところも可愛くて、僕は幸せな気持ちになった。  だからごめんねではなく、ありがとうと言おう。 「薙、会いたかったよ。会いに来てくれてありがとう」      
/239ページ

最初のコメントを投稿しよう!

882人が本棚に入れています
本棚に追加