街宵 12

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街宵 12

 父さんがあまりにうれしそうに見つめてくるから、どう反応したらいいのか分からなくなった。  小さい頃は父さんに抱っこしてもらうのが好きだった気がするけど、オレはもう9歳だ。今更、甘えるのは小っ恥ずかしいよ。  だってオレ、どんどん背が伸びているんだよ?  月に一度しか会えない父さんは、きっと会う度におどろいているだろう。  昔は見上げていた父さんとの距離がどんどん近づいてくると、今まで見えなかったものが見えてくる。  父さんの悲しげな顔は、もう見たくない。    だから、まともに見られない。 「薙……会いたかったよ、会いに来てくれてありがとう」  父さん、声がかれている。    風邪で熱があるって、本当なんだ。  ちらっと盗み見すると、ほわんと赤い顔をしている。    うーん、素直になりたいけど、素直になれない自分がイヤで、結局、外方を向いてしまった。 「別に……オレは会いたくなんてなかったのに、流さんが言うから」  ああ、こんなこと言うつもりじゃなかったのに、最低だ。  恐る恐る顔色を伺うと、父さんと流さんはうんうんと頷くだけで、何も言わなかった。  もしかして素直になれない気持ちごと、包んでくれているのかな。  母さんにこういう態度を取ると、頭ごなしに怒られるのに違うんだな。  ここって想像よりずっと、いい場所だな。  そこに、おじいちゃんとおばあちゃんがやってくる。 「薙、会いたかったわ」 「薙、夏休みぶりだな」 「今日は、夕ご飯、食べて行けるの?」 「一緒に食べよう」  オレ、めちゃくちゃ歓迎されてる?  めったに会わないからかな。  どうしよう? 楽しそうだな。  ちょっとワクワクしたのに、父さんが全部断ってしまった。 「お母さん、薙はもう帰らないと約束の時間が、夕食は無理なんです。夕食は食べさせないと契約で……」 「えっ、なんでだよ? なんだよ! なんで全部勝手に決めちゃうんだよ。もういい! 帰るよ。こんな所、来るんじゃなかった」  父さんは今度は、すごくさびしそうな顔を浮かべていた。  そのまま消えてしまいそうだ。   「おい、薙、そんな言い方……」  流さんも怒っている?  おじいちゃんとおばあちゃんはオロオロしている。 「そうだったわね。余計なこと言ってごめんなさいね」 「あぁ、おじいちゃんが考え無しだった。今日はもうお帰り」 「……言われなくても帰る!」  そこからオレはだんまりだった。  流さんが送ってくれたけど、車の中でも一言もしゃべらなかった。  マンションの前で流さんは腕時計を見て、ほっとしていた。 「良かった。渋滞で焦ったが間に合ったな。部屋の前まで送るよ」 「……」  返事はしないで首をブンブン横に振った。 「……そうか」  リュックを背負って車から降りようとすると、流さんが頭を撫でてくれた。  ちょっと乱暴な感じでワシャワシャと。 「い、痛いって」 「ははっ、やっと口聞いたな。薙、辛いよな。俺たちも辛い。俺たちはどんな薙でも大好きだから安心しろ。これは特別な差し入れだ。腹が減ったら、あとでこっそり食べろ、俺たちだけの秘密だぞ」 「なに?」 「おいなりさんだよ。夏に来た時、気に入っていただろう」  まいったな、流さんってかっこ良すぎだ。  部屋に戻ると、母さんはまだ帰ってなかった。  あんなに約束を守れって言う癖に、自分は守らないのか。  真っ暗な部屋の電気をつけると、さみしいが込み上げてきた。  さっきまでにぎやかだった。  みんながオレを見てくれていたのに……  今は誰もいない。  お腹も空いた。  そこに電話が鳴る。 「もしもし……」 「薙、ちゃんと帰っていたのね。ママ、ちょっと遅くなるけど大丈夫よね」 「……大丈夫だ」    大丈夫よねと聞かれたら、そう答えるしかないよな。  部屋に隅っこで膝を抱えてうずくまった。  オレはまだ小さい。  何も出来ない子供だ。  母さんにとって本当に必要なのか。  父さんにとって、どういう存在なのかな。  ずっとこんな風に生きていくのか。    さみしさに負けるのは悔しくて、思いっきり窓を開けて月を見上げた。  あの月は、父さんが見上げる月と同じだ。  面と向かって謝れないので、月に詫びた。  父さん、ごめん。  あんなキツい言葉を吐くつもりじゃなかった。  今日は会えてうれしかった。  もっと、いたかったんだ。  もっと、もっと――  涙をこらえて、流さんがもたせてくれたおいなりさんを食べると、甘辛い味がおいしくて……  やっぱり、月が恋しくなった。
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