882人が本棚に入れています
本棚に追加
暗中模索 1
新年を迎えたと思ったら、あっという間に2月になっていた。
いよいよだ。
1月は薙と会えないことが事前に分かっていたので、本当に待ち遠しかった。
今日は薙の10歳の誕生日当日だ。
日曜日と誕生日が重なるなんて幸運だ。
1月に会えなかった代わりにと彩乃さんに頼み込んで、誕生日当日に面会出来ることになっていた。
待ち遠し過ぎて、夜も明けきらぬうちから目覚め、そわそわしていると流がやってきた。
「兄さん、やっぱりもう起きていたんだな」
「ん……待ち遠しくてね。今日は何を着ていこう?」
「……今日は午後から雪になるかもしれないそうだ。なぁ、遊園地は寒すぎるからやめておかないか。屋内で楽しめる所でもいいんじゃないか」
「えっ、そんな……」
それは嫌だと子供みたいに首をブンブン振ってしまった。
「そう言うと思ったよ。兄さんは、こうと決めたら真っ直ぐ進む人だもんな。じゃあ暖かくして出かけよう。風邪を引いたら大変だからな」
「あ……僕は自分のことしか考えていなかった。恥ずかしいよ。薙が風邪を引いたら大変だから、遊園地はやめておいた方が……」
急に不安になってしまう。
僕との面会が原因で薙が風邪を引いたら、彩乃さんは立腹するだろう。
「おいおい、弱気になるな。俺が悪かった。兄さんを試すようにことを言ったばかりに……薙は今日、遊園地に行く気満々だぜ。前回からずっと楽しみにしているはずだ。だから、とにかく行ってみようぜ。雪が降ってきたらその時はその時だ。都度、判断すればいい。薙も勝手に行き先を変えられるのは望んでいない。自分で寒さを体感すれば納得できるだろう」
「なるほど、流は冷静に物事を捉えているんだな」
以前の流だったら、こんな風に話せなかった。
僕は流が爆発しないように止めるのに必死だった。
「薙とは性格が似ているからかな、手に取るように分かるんだ。それより……兄さん、今までごめんな。俺が冷静さに欠けていたから、兄さんに負担ばかりかけてしまった」
「全部僕がしたかったことだ。後悔はない」
そう言い切れるよ。
過去は過去。
あの瞬間、瞬間で、僕はその時出来る最善を尽くした。
後から考えると間違っていたかもしれない。違う道もあったかもしれないが、全部……僕が自分の意志で選んだ道だった。
「……翠はいつも凜としていてカッコいいよ。憧れる。さぁ支度をしよう」
「うん、早く、早く」
「……随分素直で可愛いな」
「え?」
「いや、何でも」
衣食住は流に任せると決めた時から、僕は流に対してぐっと素直になった。
「まぁ、翠ってば雪だるまみたいよ」
「母さん、これは流が……」
「分かってるわ。お兄ちゃん想いの流の仕業だってことくらい。翠、今日は薙のお誕生日ね。赤ちゃんだった薙が10歳だなんて、月日が経つのは早いわね」
「はい」
「今日は楽しんでいらっしゃい」
「お休みを下さってありがとうございます」
「当たり前よ。あなたが薙との面会が最優先よ」
「翠や、楽しんでおいで。これで温かいものでも飲みなさい。流、頼んだぞ」
父さんも母さんも、理解があって嬉しいぞ。
翠の気持ちを、翠の心を最優先してくれてありがとうな。
それから、俺を同行させてくれてありがとう。
「流、しっかり頼んだわよ」
「あぁ、しっかり見守る」
もう突っ走らない。
翠の気持ちが最優先だ。
「じゃあ行ってきます」
俺たちは一路、薙の元へ。
****
「薙、起きたの? あのね、今日は美術館のパーティーで、案内の仕事があるから遅くなるわ。だけどあなたはちゃんと時間通りに戻ってきてね。17時までには戻るのよ」
「……」
「あぁ、遅刻しちゃうわ。じゃーね!」
朝早くから、母さんはばっちりメイクにドレス姿。
ロングコートを翻して出かけていった。
あのさ、今日はオレの誕生日なんだけど……
「まぁ、いっか……」
机の上にはコーンフレークだけ。
もうなれたけどな。
母さんって、実家にいる時とは別人みたいだ。
本当は家事や子育てなんて好きじゃないのかも。
じゃあ、どうして父さんと結婚して、オレを産んだの?
意味わかんないよ。
オレはようやく10歳になったばかり。
もっと大きくなったら分かるのか。
分かりたくないことも……全部知ってしまうのか。
ひとりで朝ごはんを食べて、適当に着替えて、外に出た。
腕時計を見ると、約束の時間より20分も早かった。
バカみたいだ。
これじゃ、早く父さんに会いたくて待っている子みたいだ。
それでも母さんの香水の匂いがたちこめる家にはいたくなくて、マンションのエントランスに向かった。
すると……
「えっ」
エントランスには白いマフラーを巻いた父さんが立っていた。
20分も前なのに、もういるなんて。
オレを見つけるとタタッと駆け寄って、オレの目線までしゃがんでくれた。
「薙、10歳のお誕生日おめでとう」
それから流れるような動作で父さんは自分のマフラーを外して、オレの首元にふわりと巻いてくれた。
「な、なんで?」
「……首元が寒そうだから」
「あのさ、オレ……時間……まちがえたんだ」
「……そうだったんだね」
「ほ、本当だから」
「うん、分かった。待ち遠しくて……早く着いてしまったんだ」
本当は、すごく嬉しかったのに……
「ふーん、そうなんだ」
素直になれないのに、父さんは優しく微笑んで今度は手をつないでくれた。
「子供じゃないから、もう」
「遊園地に行かないの?」
「行く!」
「じゃあ、行こう!」
いつになく明るく元気な父さんの様子に、オレの胸もどんどん高鳴っていく。
最初のコメントを投稿しよう!