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暗中模索 8
「じゃーな」
「あ……流さん……あのさ」
「ん?」
別れ際、薙は何か言いたそうな顔をしていた。
意地を張ってんな。
そんな言葉がしっくりくる表情だ。
成長するにつれ、ますます兄さんに似てきたな。
いや、そうじゃない。
薙は幼い頃から兄さんにそっくりだ。
俺の記憶の中の兄さん。
一番最初の記憶は丈が生まれた日だから、4歳の兄さんも覚えている。
そして、今は中学生の頃の兄さんと瓜二つだ。
兄さんにそっくりな顔で、俺とそっくりな表情をする甥っ子。
これはどうしたって放っておけない。
俺なら手に取るように分かる。
薙が心の奥底で……今も父親をどんなに慕っているか。
あの日の遊園地。
あのアナウンスの内容は、今も薙の心の奥に眠っているはずだ。
薙、物事は変わっていく。
薙を取り巻く境遇も変わっていくだろう。
よどみなく流れていくよう、水が濁らぬように、生きていけ。
そのためにも今は沢山食べて、沢山運動して、体力をつけておけよ。
心もタフになるだろう。
「……負けんなよ」
華奢な少年の肩に手を置くと、薙はプイッとまたそっぽを向いた。
おいおい、お前なぁ、どんだけ俺に似てるんだ?
だが似てくれて良かったよ。
せめて……薙の心を推し量ることが出来て良かった。
「薙、月影寺はもう昔みたいに堅苦しくないぞ。兄さんが小中学生向けに座禅や写経教室もやっているんだ」
「……興味ないし」
「ははっ、俺もそうだったなぁ~」
「ちょっと、流さんと話していると……気合いが入らないよ」
「それでいいんじゃないか。いつもピリピリしていても疲れるだけだ。また会おうぜ」
「……流さんとなら……会ってもいいけど……」
「……今はそれでいい。とにかく勝手にどっか行くなよ!」
どんな形でもいい、兄さんに関係する人、物と繋がっていて欲しい。
どこにも行くな。
心の中でもう一度念じて、別れた。
月影寺に帰ると、兄さんが山門に立っていた。
「おいおい、こんな時間に物騒なことを」
「そろそろ戻ってくるかと」
「……兄さん、今日は生憎だったな」
「仕方が無いよ。住職代理を引き受けた身の上だ。まして今日は告別式……」
どんなに今日という日を兄さんが待ち侘びていたかを知っているから、それ以上のことは言ってやれなかった。
せめて……
「兄さん、花冷えして……風邪でも引いたらどうする?」
山門を一緒に上がり、竹藪の暗闇で兄さんを抱きしめた。
「流……急にどうした?」
だが、俺が抱きついても、兄さんは動じない。
あれ以降、精進を積んで、兄として住職としての道を突っ走り中だからな。
「俺、今日は薙と1日いたんだ。せめて薙の匂いでも嗅ぐか」
「くすっ、残念ながら焼き肉の匂いがぷんぷんと……」
「あっ、ムードないことを」
兄さんはくすっと微笑み、パフっと自分から俺の上着に顔を埋めた。
「……作務衣じゃない流は珍しいね」
そのままクンクンと匂いを嗅がれて、猛烈に照れ臭い。
「よ……よせって。臭いだろ?」
「今日はお酒を飲まなかったんだね。偉かったね」
「当たり前だ。未成年と食事なんだ。大事な薙がいるのに飲めるかよ」
「……薙は流となら打ち解けてくれるようで良かったよ」
本当は翠だって……そうしてもらいたいだろうに。
強がっているのは重々承知している。
だが、どこまでも気高く凜と佇む翠だ。
俺はもっともっと大きくなろう。
全部包み込めるほどに。
「流、偉かったね。茶室でお酒を振る舞うよ」
「お! 褒美か! いいな、行こう!」
兄モードの翠も可愛い。
なんだって可愛い。
だから俺は翠の細い手首を掴んで、走り出した。
何もかもはうまくいかない。
だが、少しずつ良くなっていけばいい。
急いては事をし損じる。
一歩一歩を確実に歩めば、道は開けていく。
そんな予感がする。
見上げれば満月。
欠けていた月が満ちるように、俺たちを取り巻く世界も変わっていくだろう。
きっと――
間もなく何かが動く。
そんな予感。
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