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暗中模索 8
「確かに今日は花冷えするね。日本酒……熱燗にしようか」
「いいな」
ところで……茶室で日本酒を温めるにはどうしたらいいのか。
こっそり持ち込んだ徳利を持って右往左往していると、流にひょいと取り上げられてしまった。
「あっ、どうして」
「見るからに危なっかしいな。俺がやる」
「それじゃご褒美にならないよ。僕だってそれくらい出来るよ」
「本当か」
「うっ……」
流にじどっとした視線で見られて、肩を竦めた。
すっかりお見通しなんだな。
「まぁ、そこで見てろよ」
「うん」
流は茶室の炉で湯を沸かし、器用に徳利を湯煎した。
「成程、そうすれば良かったのか」
「なんでも臨機応変にだ」
「そうだね。僕は頭が硬くて……いつも寄り道の仕方が分からなくて……全く面白みがない男だよ。だから息子である薙に対しても、どう接したらいいのか分からないんだ。父親なのに……情けない」
心に溜ったモヤモヤを息を吐くように伝えると、流に盃を持たされた。
最近の僕は弟の流に、こんな風に悩みを素直に打ち明けられるようになった。
「それが翠の良いところだ。だから大切にして欲しい。翠が出来ないことは俺に任せろ。さぁ、飲め」
「……これでは褒美の意味がないよ。流も飲んでおくれ」
「あぁ、共に飲もう」
「あっ、美味しい。ちょうどいい温度だね。熱燗って美味しいんだね」
「これは正確には『熱燗』じゃない。温めた日本酒の総称を『燗酒』と言い、温度帯で呼称が異なるんだ。つまり『熱燗』はそのうちの一つだ」
「流は物知りだね。あ……じゃあ僕が今口に含んだのは、なんと呼ぶの?」
「これは『人肌燗』だ。米や麹の良い香り、柔らかな味わいが楽しめる燗の中で一番一番優しさが感じられるものだ」
人肌燗か……
なんだか人恋しくなる名前だね。
「僕も好きだな。凍えた心を温めてくれる」
「翠……今日は残念だったな」
もう一度問われて、今度は素直に頷けた。
「うん……会いたかったなぁ……薙、大きくなっただろうね。もう何年も会ってない。いや……会ってもらえないのか」
「翠……目に見えるものが全てではない」
「そうだね。そう信じている。あの日の遊園地……あのアナウンスを聞いたから……僕は夢を抱けるよ。今は駄目でも、いつかはと……」
「そうだ。先のことは分からない」
****
気の利いた慰めの言葉は持ち合わせていないが……
翠の傍で、翠の心に寄り添って生きて行く。
それが俺の人生だ。
「そうだね……そういえば、丈は元気だろうか。韓国に行った切り一度も帰国していないようだが」
「便りがないのは元気だろう。だが本当に困った時は、アイツはここに帰ってくる気がする」
「あ……流も……そう思っているのか」
「あぁ」
茶室で翠と向き合って人肌燗を飲む。
こんな時間が持てるようになったのも、全部翠の張り巡らせた結界のお陰だ。
「眠くなった」
「今日は1日遊園地で疲れただろう。僕の肩で良かったら貸すよ」
「あぁ、ちょっと貸してくれ」
翠に誘われ、俺は最上の場所で転た寝をする。
これが俺の幸せな場所だ。
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