春隣 1

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春隣 1

「流っ、待って、出迎えはそっちじゃないよ!」  叫んだが、あっという間に流の姿は見えなくなっていた。  まったく流は素早いね。  僕はあんな風に、感情のままに駆け出すことは出来ない。  それを……流はいとも簡単に乗り越えてしまうのだな。  流の勢いが、時々羨ましくもなるよ。    しかし来訪者は山門を潜るのが筋だろうに……  裏山に喜び勇んで駆け上がる流の姿に呆れつつも、口角が上がっていた。  さっき、久しぶりに以前のように砕けた口調になっていた。     それが嬉しかった。  最近、急に余所余所しい話し方をするようになったが、中身は以前と変わらない。    僕がずっと見てきた流だ。  流、いいかい?  絶対に僕から離れてはならないよ。  僕には流が必要なのだから。  僕も生涯を流の傍にいる覚悟だ。  なぜなら、血を分けた兄弟以上に強く惹かれ合う相手だから、    今の僕の心は、どこまでも凪いでいる。  ここは、紆余曲折を経てようやく辿り着いた場所だ。  このような心境になれた今だからなのか、変化を望むようになったのは。  変化といっても一方的なものではなく、流と共に変わってみたいんだ。  それにしても突然舞い込んできた丈の帰国。  暮れから感じていた胸騒ぎは、このことだったのか。  これは……もしかして僕と流の変化への足掛かりとなるのか。    それは間もなく分かるだろう。 「翠や、どうした……」 「住職……あの、実は丈が帰国したそうです」 「なに? 丈が……そうか……ここに帰って来てくれるのか」  父にとって、丈は心配で愛おしい存在だ。丈が小学生の頃、いつも一人でいるのを案じて、視野を広げてやろうと、海外出張に特別に同行させていた。 「そのようです。今……流が迎えに」 「よし、私たちは読経をしに行こう。普段通りに迎え入れてやりたい」 「はい、では本堂へ」  父の言う通りだ。  僕に出来ることは、静かに水を吸収するかのように丈を迎え入れること。 ****  裏山に一気に駆け上がると、景色が開けた。    眼下には、落葉樹が葉を落とした冬木立が見える。  今朝はだいぶ冷え込んだので、地面には霜が降りているだろう。  木枯らしがザーッと吹き抜け、俺の髪を棚引かせる。  吐く息は白く、厳しい寒さを物語っていた。  頬を撫でる冷たい風に向かって、俺はデンと構えた。 「さぁ、帰って来い!」  すると、眼下のハイキングコースのような道を、落ち葉を踏みしめながら歩いてくる人影が見えた。  あれは丈だな。  やっぱりそっちから来たな。    俺の目論見通りだ。  影は二つ。  丈よりも華奢な男性の姿が見えた。  遠目ではっきりと見えないが、グレーのダッフルコートに白いセーター、黒いパンツという普通の学生のような服装をしていた。  マフラーにすっぽり顔を埋めているので、はっきりしないが、すいぶん若い男のようだ。てっきり丈と同性代の堅苦しい人物を想像していたので、これは拍子抜けだ。  俺は忍びの者のように息を潜めて、二人を見つめた。  その青年が坂道で息を切らし足取りが遅くなると、丈が立ち止まり手をすっと差し出した。  おぉ?   意外なことをするんだな。  お前が、そんなに優しく誰かを労るなんて。  青年に向かって優しく微笑む柔らかな表情に、また驚いた。  お前達……一体どういう関係なんだ?  心臓がバクバクと高鳴っていく。  俺は何を期待しているのか。  もしかして、お前達は……
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