春隣 6

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春隣 6

 どうやらこの場を和やかにするのが、僕の役目のようだ。    ならば、ゆるりとした口調を心がけよう。 「ふぅん……嫁なのか。なるほど……兄として、不愛想な弟の将来を悲観していたので、それもまた一興だね」  父さんは、まだ目を白黒させていた。 「流、ええっとだな、私にも分かるように説明してくれないか。丈とこの崔加さんというのは、つまり」 「やだな父さん、『稚児』という言葉くらいご存じでしょう?」 「そっ、それは知っているが……丈の場合それとは違うような」  ん? 流……ちょっと待って。 『稚児』は、彼に失礼では?  ほら、今度は真っ赤になってしまったよ。  あぁ、もう見ていられないよ。  弄られすぎて、気の毒過ぎる。  僕が庇おうかと思ったが……  彼は丈に助けを求めた。  すると丈は穏やかな眼差しを向けて、彼を守った。  その慈しみの溢れる表情に、僕の方が赤面してしまった。  ここにいた頃は恋愛とは縁もない堅物だったのに、すっかり様変わりしたんだね。  愛しい人を、堂々と大切にする様子に感動を覚える。  弟はいつの間に、僕を飛び越えて成長していた。  未だ足を踏み入れられない世界を堂々と歩んでいた。    丈は今にも逃げ出してしまいそうな彼を支え、背筋を正した。 「父さん、流兄さん、いい加減にしてください。稚児だなんて、そんな昔の言葉で軽く片付けないでください。私は一生を共に過ごしていくパートナーとして、真剣に洋を選びました。実はいろいろあって……洋とは既に五年も一緒に暮らしています。今回日本に戻ってきたのが丁度良い機会だと考え、紹介したくて連れてきました。どうか私たちを受け入れて下さい」  きっぱりと言い放ち、頭を下げた。  その横で、彼は丈の一挙一動に心を打たれていた。  二人の間には、確かな愛が存在している。    眩しい程の、羨ましい程の堂々とした愛だ。  ただ……丈が正論で突き進めば進む程、彼が居づらくなっていくように感じてしまうのは何故だろう?  そこに再び流が助け船を出す。 「丈、ちょっと待てよ。はやる気持ちも分かるが、一人でそう突っ走るな。洋くんだっけ……彼が居たたまれない顔をしているのに気づいているか。こういうことはなぁ、出来たらお互いしっかり同意の上、カミングアウトすべきだぜ。置いてけぼりはよくないぞ。まぁ、とにかく俺はこの綺麗な張矢家の嫁さんが気に入った。ウェルカムだから安心しろよ」    うん、いいね。  僕が言いたいことを全てまとめてくれて、ありがとう。  追い詰めるのではなく、明るく世界を広げていく。  それが僕の流だ。  丈も少し急いてしまったことに、気づいたようだ。 「流兄さん……アドバイスをありがとうございます。ただ……洋を嫁さんと言うのは……ちょっと」 「ははっ、礼には及ばないぜ、お前が言い出さなくとも、俺には分かっていたよ。君たちが恋人同士だってことはさ」 「えっ、何故ですか」 「そりゃ、さっき裏門の上でお前達アツアツだったからさぁ~」 「はっ……」  ん? 流は一体何を見たのだろう?    あーあ、せっかく彼の心が浮上していたのに、またクラクラし出してしまったじゃないか。    こういう所は、まだまだだな。やれやれ…… 「もう駄目だ。頭がいっぱいで……ちょっと待ってくれ。俺だけ置いてけぼりだ」 「すまなかった。君に負担をかけるつもりでは……」 「おいおい顔色が悪いな。別に俺たちは反対していないよ。なぁ、父さん、翠兄さん」  もちろんだ。  僕の心は、最初から決まっているよ。  まずは父さんの意見から…… 「もちろん反対はしていない。ただ突然過ぎて驚いただけだ。物事にずっと無関心だったお前が、そこまで言う相手なんだ。男だろうと女だろうと構わないよ。洋くんや……ここは君の家だと思ってゆっくりするといい。話はおいおい聞くとしよう。丈……彼を離れの客間に案内してあげなさい。顔色が悪いから休ませてあげないと」 「ありがとうございます。父さん。あの……翠兄さんは……」  僕の気持ちを探っているようだ。  ここは、兄らしく答えよう。 「ふっ、全く丈にはしてやられたな。小さい頃は物静かで大人しいだけだったのに……もちろん僕に偏見は全くないよ。強いて言えば……少しだけ可愛い弟を取られた気分かな」  場を和ませるためにわざと拗ねるように言うと、流が快活に笑う。 「くくっ、翠兄さんは、丈をなんだかんだ可愛がっていましたよね」 「それは流があまりにも強烈過ぎて、丈が霞んで可哀想だったんだ。それにしても可愛い義弟が出来て嬉しいよ」 「だよな。とにかく俺達は洋くんを気に入ったよ。男にしとくのが勿体ない程の美人だから、やっぱり俺達が嫁さんの修行させてもいいか」 「これっ! 調子に乗るでない!」  父さんが叱ると、流が快活に笑う。  場が緩んで和んでいく様子を、彼は眩しそうに目を細めて見つめていた。 「洋くん、とにかく僕たちはこんな調子で仲良くやっているから寛いでおくれ。君も今日からこの一員なんだよ。大丈夫だよ。ここは怖くない」 「あ……ありがとうございます」  心を込めて伝えると、極度の緊張が解けたせいか……くらりと目眩を起こして丈の肩に寄りかかってしまった。 「洋、大丈夫か」 「もう……俺……キャパオーバーだ。少し休ませてくれ」  そして、かくんと意識を飛ばしてしまった。  
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