春隣 7

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春隣 7

「洋っ、しっかりしろ」  彼の身体は丈の肩を離れ……畳に崩れ落ちてしまった。  正確には丈がさっと手を差し出し、全てを受け止めていた。  意識を完全に失った彼の顔色は、蒼白だった。 「丈っ、大丈夫なのか。どこか悪いのか」  流が焦って聞くと、丈は医師として冷静な受け答えをした。 「彼は貧血持ちで私は主治医です。鉄欠乏性貧血ですので、ご心配なく……少し休めば治ります」 「そ、そうか……とにかく寝かした方がいい」 「はい、そうさせてもらいます。どこへ行けば?」 「こっちだ」  丈が迷うこと無く彼を軽々と横抱きにし颯爽と歩き出したので、流が身を翻し、二人を客間へと先導した。  僕は丈のあまりの潔さに呆気に取られて、父の横に座ったままだ。 「翠や、いつの世も同じだな」 「父さん、それは、どういう意味でしょうか」 「愛は性別を超えるということだ。翠は大丈夫か」 「はい、そのことでしたら、受け入れております」 「そうか。良かったよ。ここでは丈の意のままにさせてやろう」 「はい、それが宜しいかと」 「よし、では私は住職の仕事に戻るよ。翠はもう一休みしてからでいい」 「ありがとうございます」  なんだろう?  さっきから胸の奥がチリチリとする。  心がもやもやするのは何故だろう?    滅多に抱かない感情が顔を出している。    父さんの放った言葉は矢のように刺さったままだ。  ここでは……  愛は性別を超えていいのか。  だが、愛は兄弟の枠を超えてはならぬだろう。  僕は何を考えて……    雑念を振り払おうと、頭を振った。  馬鹿な翠……  だから駄目なんだ。  お前は結局どこにもいけない。    いにしへの声が聞こえる。  誰の声だろう?  あぁ、また声がする。  今度へ切ない声だ。  目の前に山があるのに、何故登らない?    いつまで眺めているつもりだ?  山は幻になってしまうぞ。  僕のような後悔をしないでおくれ―― 「誰だ?」 「俺だよ。兄さん、どうした?」 「いや別に。それより流こそ、どうした?」 「さっきの彼……服を汚してしまったんだ。兄さんの浴衣を貸してやってもいいか」 「もちろんだよ。しっかり介抱してあげてくれ。彼はこの寺にとって大切な人だ」 「御意……俺もそう感じていたよ。客人ではなく俺たちの仲間だと」  俺たちの仲間?    動悸が激しくなる。  かつてない程に。  やはり変化の時が、やってきたのだ。  何かが変わっていく。 「……本堂に行くから、あとは頼む」 「兄さんこそ大丈夫か。刺激強かったか」  流に熱い視線でじっと見つめられると、心まで覗かれるようだ。 「大丈夫だ。彼が元気になったら、流が寺の案内をしてあげるといい」 「分かった、そうするよ」 「頼む、じゃあ僕は行くよ」 「あっ……翠……」 「なんだ?」 「いや、何でもない」  振り返ると、流の手は空を掴んでいた。  気まずい雰囲気になり……居たたまれなくなって、僕はその場を去った。  
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