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春隣 8
丈は迷いなく彼を横抱きにして、俺の後をスタスタと背筋を伸ばしてついてくる。
お、お前って、そんなキャラだったか。
だが悪くないな。
お前達が月影寺に旋風を巻き起こしてくれるのか。
だったら、早く俺を押し上げろよ。
とにかく翠と俺が感じていた『変化』がやってきたのだ。
年末から感じていた不思議な予感は、確信に変わっていた。
「この部屋を使え」
「ありがとうございます。洋……大丈夫か。しっかりしろ」
「うっ……ごめん……少し……気持ち悪い」
「あ、待て」
「うっ……ごほっ、ごほっ」
彼は覚束ない意識のまま、必死に丈から顔を背けた。
丈の服を汚さないようにと。
「馬鹿! 何故顔を背ける」
「お前を汚すわけにはいかない。俺はどうとでも――」
「馬鹿なことを……まだ引きずっているのか」
「俺は汚れてもいいが……お前は駄目だ」
「もうよせ、それ以上喋るな」
この二人の会話は一体?
彼の服が汚れていくのを見ると、絶望的な気持ちになるのは何故なのか。
君は何を背負って、何故ここにやってきた?
底知れぬ闇を感じて切なくなった。
とにかく一刻も早く清めてやらねば。
そのままでは気持ち悪いだろう。
「洋? また意識を失ってしまったのか……くそっ、まだ……洋を苦しめているのか」
丈が悔しそうに呟く。
彼の事ととなると、冷静沈着ではいられないようだ。
「丈、早く清めてやろう」
「あっ、流兄さん…気にしないで下さい。私たちに構わないで下さい」
「馬鹿、そんなこと言ってる場合か! そのままじゃ彼の身体が休まらない。彼の着替えはあるのか」
「あっ……泊まると伝えてなかったので持っていません。私の服を貸します」
「お前のじゃデカすぎだ。翠兄さんのを借りてくる」
「ですが」
「お前なぁ、ここでは少し甘えろ。何のためにお前には二人の兄がいると思ってんだ?」
俺は今まで丈に「もっと甘えろ」「もっと頼れ」などと、声を掛けたことは一度もない。
お前はいつだって一人でさっさと歩いて行ってしまったからな。
だが、これは放っておけない。
翠兄さんの元に戻ると、客間で難しい顔をして何か考え込んでいた。
浴衣を彼に貸すことは快諾してくれたが、塞ぎ込んだままだ。
「流、しっかり介抱してあげてくれ。彼はこの寺にとって大切な人だ」
大切な人……
やっぱり翠もそう感じているのか。
丈と彼は、同性同士で愛し合っている。
兄さんはなかなか認めないが……
翠と俺は……兄弟で惹かれ合っている。
そうじゃないのか。
だから広い意味では仲間じゃねーのか。
「御意……俺もそう感じていたよ。客人ではなく俺たちの仲間だと」
『俺たちの仲間』という言葉に、翠が目を見開いて驚愕する。
それ以上は口にするなと、目で厳しく制してくる。
俺は目の前にそびえる高い山を共に乗り越えたいと願っているが、翠は違うのか。
恐れをなして、ただ……いつまでも見上げているだけなのか。
一体いつまで待てばいい?
遠ざかっていく背中に、愛情を込めて「翠」と呼びかけた。
このまま抱きしめたい。
触れたい! ちゃんと触れたい!
だが伸ばした手は、途中で止まったままだ。
俺も意気地なしだ、あと一歩が踏み出せないなんて。
一方的な想いは成就しないのを知っている。
翠も一歩踏み出すのを、ずっと待っている。
「……僕は行くよ。後は任せた」
翠は足早に去り、そこに残るのは翠の抜け殻。
俺が焚いた香だけしかいない。
「……幻を抱くのは、もう限界だ!」
どうしたら翠を奮い立たせられるのか。
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