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『忍ぶれど』序章
早朝……俺は一人竹林を彷徨うように歩く。
あの人のためだけに建てた茶室で、持て余す心と消えない想いを少しでも静めるために、茶を点てる。だが濃茶の深い緑色の水面を見つめると、すぐにまた浮かんで来るのは、切なる想い。
翠
汚れのないみどりの羽。
翡翠ヒスイのような青緑色。
山・草・葉など汚れない青みどりのもの。
全てあなたのことだ!
汚れなき緑が似合う人……
それは翠兄さん。
俺の二つ年上の兄だ。
実の兄なのに憧れを通り越した愛を、ずっとこの胸に秘かに抱いている。
俺だけの兄なんだ!
どこにも、誰にもやりたくない。
なのに……何故、行ってしまうのか。
明日から俺は更に報われない想いを抱いて、生きていくことになる。
「翠……」
「俺の翠……」
果たして……
いつかそう呼べる日がくるのだろうか。
いつまで待てば、報われるのだろうか。
忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は
物や思ふと 人の問ふまで
(平兼盛)
もう隠しきれない、この忍ぶ恋。
狂おしいほどの切なる想いが募り、ただひたすらに、胸が苦しい。
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