春隣 18

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春隣 18

 丈に連絡してから、夜まで何の音沙汰もなかった。  よからぬことに巻き込まれてしまったのではと、ずっと胸騒ぎがしている。  流も庭の手入れをしてくると言っては何度も外に出て、二人の帰りを待ち詫びている。  流の様子からも、ずっと流と二人で過ごしていくと思っていた月影寺に、新たな変化が訪れたことを実感した。 「遅いですね」 「心配だね」 「翠兄さん、あの二人は何かとても大きな問題を抱えているのでは?」 「同感だよ。ねぇ……流……僕たちはこれ以上、見て見ぬふりをすべきではないのでは?」 「えぇ、やはり向き合いましょう。月影寺の一員の窮地は一丸となって取り組むべきです」 「そうだね、そうしよう」  流の言葉遣いは相変わらず堅いが、想いは熱い。  今の僕には、流の本質が見えている。    だから寂しくはない。    だが……  いつか……すべてを投げ捨て脱ぎ捨てて、一人の人間として向き合いたい相手だ。     日が暮れると、静寂の中、静かに砂利を踏む音が聞こえた。  ようやく丈と洋くんが戻ってきた。 「帰ってきたようですね」 「あぁ、迎えに行こう」  ところが外灯の下に立つ洋くんの顔を見て、思わず息を呑み込んでしまった。洋くんの桜貝のような淡い色合いの唇の端が切れて、血が滲んでいた。頬にはうっすら青痣まである。  これは明らかに誰かに殴られた痕だ。 「一体……」  僕より先に流が飛び出し、大きな声をあげた。 「洋くん、その顔はどうした? 誰にやられた?」  苦しげな流の顔に、僕も思わず顔を歪めてしまうよ。  流が自分を責めているから。  過去に引きずられるな。  僕はここにいる。  ちゃんといるから。 「あの……ちょっと……」  洋くん?  君は少し出かける前と、雰囲気が変わったね。  傷の割にダメージは深くないのだろうか。  いや……何があったのか分からないので憶測で判断は出来ない。 「丈、お前がついていながら、何てことに」  溜息交じりに、流が丈を見つめる。 「とにかく……丈は後で俺の部屋へ来い。洋くん、君は丈にしっかり治療してもらうんだぞ」 「はい……翠さん、流さん、あの……心配かけてすいません」 「いいんだよ。でも何故だか君は傷の割に明るい表情だね。ほっとしたよ」  あっ……同じだ。  流も同じ事を感じていたのか。  本当に最近、僕の魂は流と呼応するようになった。 「兄さん、俺も着替えてきます」 「うん、その方がいい。とても言い辛いことかもしれないから、僧侶の立場で聞くことも視野に入れよう」 「御意」  しばらくすると流の部屋に、丈がやってきた。  やはり……深い悩みを抱えた人の顔をしている。  僕たちは丈の兄としてだけでなく、月影寺の僧侶として、悩みを受け止める覚悟だ。  どんな言葉が紡がれるのか。  何があっても僕は守る。  この月影寺に身を寄せてくれた末の弟の全てを――  だからどうか委ねて欲しい。 「丈、お前に聞きたいことがある。洋くんのことで、何か重大なことを隠しているのでは?」 「……」 「それはきっと洋くんの口から決して言えないことで、丈もたやすく人に相談できないのでは?」 「翠兄さん、何故それを?」  やはり図星か。 「いいかい? ここからは兄としてではなく、この月影寺の僧侶として相談に乗ろう。洋くんの迷いや悩みを思い切って僕たちに話してみないか。秘密は必ず守る」  僕と流は、丈の気持ちに寄り添いながら、僕たちに相談してくれるのを根気よく待った。  やがて丈は重たい口を開いた。  そこには衝撃の事実が待っていた。  だが僕はけっして揺るがない。  全てを両手を広げて受け止めていく。
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