春隣 19

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春隣 19

前置き 『重なる月』の『重なれば満月に 4』とリンクしています。https://estar.jp/novels/25539945/viewer?page=437 夕凪との関係をこちらでも書くと長くなってしまうので、『重なる月』の方を、ご参照下さい。 *** 「兄さん、実は……洋は五年前、育ての親……つまり義父からレイプされています」  丈の告白を、僕は冷静に受け止めていた。    隣りにいた流も同じだった。 「そうか……やはり、そうだったのか」 「翠兄さん、案じていた通りでしたね」  僕は流と顔を見合わせて、頷き合った。 「丈、勇気を出して話してくれてありがとう。実は僕たちは洋くんに初めて会った時から、不思議な縁を感じていた」 「それは一体どういうことです?」 「……驚かないで、この写真を見てくれないか」  文机の箱から一枚の古びた写真を取り出して、丈に見せた。  大正時代に撮影されたセピア色の写真には、一人の美しい青年が写っていた。その青年の名は夕凪と言い、顔立ちが洋くんと瓜二つだった。  洋くんを知れば知るほど、この青年が心と身体に無理矢理受けた傷が、洋くんにもついている気がしてならなかった。洋くんに似た美しく品のある和服を着た青年の哀し気な瞳は、身体を理不尽に踏みにじられた経験がある人のものだったから心配していた。  あぁ……辛かったね。恐かったね。  僕には分かるよ。  その時の悔しさ、おぞましさ。  吐きそうな程の嫌悪感。    僕は未遂で済んだが……洋くん……君は仮にも父親として接していた人から、そんな仕打ちを……なんて惨いことをされたんだ。  僕は絶対に君を守る。    君が本来の自分を取り戻せるように、精一杯支える。  この月影寺が盾になろう。  もう二度と洋くんをそんな目に遭わせない。  僕は心の中で誓いを立てた。  その後、僕たちが受け継いだ不思議な話を丈に伝えた。  その晩、窓辺で月を気怠げに眺めていると、窓の外から声がした。 「翠兄さん、酒でも飲みませんか」 「流、そんな所からどうした?」 「観梅をしていたんですよ」  流は徳利とお猪口を手に持って、窓からひょいと僕の部屋に入ってきた。 「相変わらず豪快だね。でも久しぶりだね。流とこんな風に酒を交わすのは」 「そうですね。ふぅ、それにしても肩の荷が降りましたね。なんだかほっとしましたよ」 「あぁ本当に半信半疑で僕たちが受け継いだ話が、まさかこんな風に現実になるとは」  流が注いでくれた酒をぐいっと飲み干して、窓の先の下弦の月を見上げると、一瞬闇夜になったかと思うと、すぐにまた月が出てきた。 「不思議な夜だな。僕は流と遠い昔……こんな風に月を見上げた気がするよ」 「兄さん……俺も同じことを感じていました」  眩しそうに流も月を見上げていた。 「洋くんは幸せになれるでしょうか」 「この世で必ず幸せにしてやりたい。僕たちもついているのだから、そうなれるように導き、守ってやろう」 「そうですね。でもなんだかすべて片付いてしまうと目標を失ったようで少し寂しいですよ」  流の切ない心の声が聞こえる。 …… でも兄さんがいれば寂しくないです。だからずっと俺を傍に置いて下さい。 ……  流の心が、僕の胸にじんわりと温かく伝わって来た。  人懐っこく親しみのある笑顔を浮かべる弟の流。  僕も、流がいるから少しも寂しくないよ。  心の中で「僕も同じ気持ちだから安心していい」と、答えるしかなかった。  僕は、まだ道を知らない。  踏み外せば、そこに辿り着けるのだろうか。  僕の性格、僕の立場では、なかなかそのきっかけが掴めない。 「……流から梅の香りが」 「あぁ、床の間にと、手折ってきました」  目の前に梅の枝を差し出される。 「くすっ、おじいさまが生きていらしたら、また、おかんむりだね」 「生前は怒られてばかりでした」 「そうだったね。でも可愛がっていたよ。なぁ……流……僕も梅を見たくなった」 「……夜道は暗いですよ」 「流が手を引いてくれれば問題ないだろう」 「……御意」  まだ、こんなことしか出来なくてごめん。   「兄さん、梅の次は桃ですよ。ひなまつりには、ちらし寿司を作りますから、お祝いをしましょう」 「男だらけの月影寺で、ひな祭り?」 「今年は嫁さんがやってきたので」 「あぁ、洋くんの歓迎会なら、僕も手伝うよ」 「じゃあ、翠兄さんは余興係でいいですか」 「えっ、余興って?」 「また姫の姿になるのはどうです?」 「馬鹿、あれは子供の頃の戯れ事だ」 「くくっ、幼い頃、兄さん、母さんに女の子の着物を着せられて大変でしたね」 「……そういえば、どうして僕だけだったのかな? 流と丈には見向きもせずに」 「ははっ! 母さんは見る目がありますからね」  流は機嫌良さそうに、月を見上げて豪快に笑った。  和やかな空気が満ちてくる。  この雰囲気を守るために、僕は月影寺の結界をギュッと引き締めた。
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