882人が本棚に入れています
本棚に追加
ひねもす 2
前置き。
本日は以前エッセイ『しあわせやさん』https://estar.jp/novels/25768518に掲載したSSのアレンジです。本編に加えるにあたり前後を加筆しました。そのため視点が流→翠→流となっています。
茶室で翠を膝枕している流が中学生の頃を回想しています。(途中、翠視点が混ざっていますので、ふんわりと読んで下さいね)
****
兄さんを膝枕していると、温かい体温がじんわりと伝わってきた。
兄さんの重み、ぬくもり、どれも俺にとって憧れだ。
今も昔も、何も変わらない。
あれは俺がまだ中学生の頃、梅雨入りした日のことだ。
兄さんはあの時どんな気持ちだったのか、いつか教えて欲しい。
****
「翠、また明日な」
「うん! 達哉、また明日」
角を曲がると、弟の流が立っていた。
無骨な青い傘を差して、何故か膨れっ面だ。
でも話しかけると途端に嬉しそうな顔になるのを知っているよ。
「流も今帰り? 一緒に帰ろう」
「……なぁ兄さんって古典は得意だよな。ちょっと教えてくれよ」
「もちろん、いいよ。家に帰ったらでいいかな?」
「いや、今がいい。他の勉強もあって時間がないから歩きながら」
流が無言で、青い傘を僕に差し出した。
えっと……それはどういう意味かな?
「中に入れよ」
「う、うん……でも僕……傘は持っているよ?」
「みっ、道が狭いからだ。別々に傘を差していると並べないだろう」
「あぁ、そういう事か。うん、そうだね」
いい年して弟と一緒の傘に入るなんて変な感じだ。
「それで、何が聞きたい?」
「古典の単語がサッパリ分かんねー」
「今、何をやっている?」
「伊勢物語の筒井筒だ」
「あぁ『筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに』という和歌だね』
筒井戸の井筒と背比べをした私の背は、もう井筒を越してしまったようだなあ。あなたに会わないでいるうちに……
あれ? そう言えば……
「流、また背が伸びた?」
「もう兄さんと並んだ」
「うーん複雑だよ」
「これからは越えていく、もっと高く、高く!」
「それは、もっと複雑だ」
いつの間にか目線が同じになって、不思議な感じだ。
幼い頃から行きつけの和菓子屋さんの前を通ると、店のおばあさんが手を振っていた。
「すいちゃんもりゅうちゃんも、いつも仲良しでいいねぇ」
「すいちゃんか……久しぶりにそう呼ばれたな」
「俺を『りゅうちゃん』だと? 全くいつまでも『ちゃん』付けなんてどうかと思うが……まぁ兄さんとセットなら悪くないか」
「そういえば流は小さい頃、傘を持つの嫌がったよね。いつも僕の傘に入ってきて……あれは可愛かったなぁ」
「ははっ、今は逆だな」
流が朗らかに笑う。
「え? だって今日は流が勉強がって言うから……あぁ……話が逸れた。何を教えていたんだっけ?」
「くくっ、まだ何も」
僕は弟のこの笑顔が好きだ。
日だまりのように明るい流の笑顔。
****
兄さんが俺の傘に入ってくれるなんて、夢みたいだ。
これは憧れの相合い傘だぞ。
平静を装っても胸の鼓動が早くなる。
ドキドキ……
ドキドキ……
傘の中は、二人だけの世界だ。
『明日も明後日も……雨になれ!』と、願いたくなる。
道中、兄さんが雨に濡れないように、かなり気を遣って歩いた。
俺の右肩が濡れるは一向に構わない。
むしろ勲章だ!
すると突然兄さんが俺の腕を引き寄せた。
「流、馬鹿だね。そんなに濡れて……さぁ、もっとこっちにおいで」
「あ、あぁ」
兄さんの左肩と俺の右肩がぴったりくっつくと、新しい熱が生まれた。
これは、俺の心を押し上げる熱だ。
気がつけば、歩く速度がどんどん増していた。
兄さんとまたこうやって触れ合えるのが嬉しくて心が弾む。
傘にあたって跳ねる雨の雫みたいにさ!
しまった!
この時間を楽しむためには、もっとゆっくり歩くべきだ。
そう思うのに、跳ね出した心はコロコロと転がっていく。
「流、ちょっと待って……歩くの速すぎだ」
「あ、悪いっ」
「ふぅ、せっかくの機会だし、ゆっくり話しながら歩こうよ。流とこんな時間を久しぶりに持てて嬉しいのだから」
優美で清らかな兄は、傘から滴る雫を見上げながら、綺麗な口元を綻ばせた。
空は鬱陶しい曇天。
だが俺の心の中は、どんどん晴れ渡る。
「流と歩む道、どこまでも続くといいな」
「……兄さん」
兄さんと俺の間には、今、七色の虹が架かった。
![3733183d-e583-4769-b9bf-d4ad79c795e6](https://img.estar.jp/public/user_upload/3733183d-e583-4769-b9bf-d4ad79c795e6.png?width=800&format=jpg)
![90bd3287-dc27-415d-8c20-4360de011989](https://img.estar.jp/public/user_upload/90bd3287-dc27-415d-8c20-4360de011989.png?width=800&format=jpg)
最初のコメントを投稿しよう!