ひねもす 2

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ひねもす 2

 前置き。  本日は以前エッセイ『しあわせやさん』https://estar.jp/novels/25768518に掲載したSSのアレンジです。本編に加えるにあたり前後を加筆しました。そのため視点が流→翠→流となっています。  茶室で翠を膝枕している流が中学生の頃を回想しています。(途中、翠視点が混ざっていますので、ふんわりと読んで下さいね)  ****  兄さんを膝枕していると、温かい体温がじんわりと伝わってきた。  兄さんの重み、ぬくもり、どれも俺にとって憧れだ。  今も昔も、何も変わらない。  あれは俺がまだ中学生の頃、梅雨入りした日のことだ。  兄さんはあの時どんな気持ちだったのか、いつか教えて欲しい。 **** 「翠、また明日な」 「うん! 達哉、また明日」  角を曲がると、弟の流が立っていた。  無骨な青い傘を差して、何故か膨れっ面だ。  でも話しかけると途端に嬉しそうな顔になるのを知っているよ。 「流も今帰り? 一緒に帰ろう」 「……なぁ兄さんって古典は得意だよな。ちょっと教えてくれよ」 「もちろん、いいよ。家に帰ったらでいいかな?」 「いや、今がいい。他の勉強もあって時間がないから歩きながら」  流が無言で、青い傘を僕に差し出した。  えっと……それはどういう意味かな? 「中に入れよ」 「う、うん……でも僕……傘は持っているよ?」 「みっ、道が狭いからだ。別々に傘を差していると並べないだろう」 「あぁ、そういう事か。うん、そうだね」  いい年して弟と一緒の傘に入るなんて変な感じだ。 「それで、何が聞きたい?」 「古典の単語がサッパリ分かんねー」 「今、何をやっている?」 「伊勢物語の筒井筒だ」 「あぁ『筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに』という和歌だね』  筒井戸の井筒と背比べをした私の背は、もう井筒を越してしまったようだなあ。あなたに会わないでいるうちに……  あれ? そう言えば…… 「流、また背が伸びた?」 「もう兄さんと並んだ」 「うーん複雑だよ」 「これからは越えていく、もっと高く、高く!」 「それは、もっと複雑だ」  いつの間にか目線が同じになって、不思議な感じだ。  幼い頃から行きつけの和菓子屋さんの前を通ると、店のおばあさんが手を振っていた。 「すいちゃんもりゅうちゃんも、いつも仲良しでいいねぇ」 「すいちゃんか……久しぶりにそう呼ばれたな」 「俺を『りゅうちゃん』だと? 全くいつまでも『ちゃん』付けなんてどうかと思うが……まぁ兄さんとセットなら悪くないか」 「そういえば流は小さい頃、傘を持つの嫌がったよね。いつも僕の傘に入ってきて……あれは可愛かったなぁ」 「ははっ、今は逆だな」  流が朗らかに笑う。 「え? だって今日は流が勉強がって言うから……あぁ……話が逸れた。何を教えていたんだっけ?」 「くくっ、まだ何も」  僕は弟のこの笑顔が好きだ。  日だまりのように明るい流の笑顔。 **** 3733183d-e583-4769-b9bf-d4ad79c795e6  兄さんが俺の傘に入ってくれるなんて、夢みたいだ。  これは憧れの相合い傘だぞ。  平静を装っても胸の鼓動が早くなる。  ドキドキ……  ドキドキ……  傘の中は、二人だけの世界だ。 『明日も明後日も……雨になれ!』と、願いたくなる。  道中、兄さんが雨に濡れないように、かなり気を遣って歩いた。  俺の右肩が濡れるは一向に構わない。  むしろ勲章だ!  すると突然兄さんが俺の腕を引き寄せた。 「流、馬鹿だね。そんなに濡れて……さぁ、もっとこっちにおいで」 「あ、あぁ」  兄さんの左肩と俺の右肩がぴったりくっつくと、新しい熱が生まれた。  これは、俺の心を押し上げる熱だ。 90bd3287-dc27-415d-8c20-4360de011989    気がつけば、歩く速度がどんどん増していた。  兄さんとまたこうやって触れ合えるのが嬉しくて心が弾む。  傘にあたって跳ねる雨の雫みたいにさ!  しまった!  この時間を楽しむためには、もっとゆっくり歩くべきだ。  そう思うのに、跳ね出した心はコロコロと転がっていく。 「流、ちょっと待って……歩くの速すぎだ」 「あ、悪いっ」 「ふぅ、せっかくの機会だし、ゆっくり話しながら歩こうよ。流とこんな時間を久しぶりに持てて嬉しいのだから」  優美で清らかな兄は、傘から滴る雫を見上げながら、綺麗な口元を綻ばせた。  空は鬱陶しい曇天。  だが俺の心の中は、どんどん晴れ渡る。 「流と歩む道、どこまでも続くといいな」 「……兄さん」  兄さんと俺の間には、今、七色の虹が架かった。
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