ひねもす 3

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ひねもす 3

 ふと目覚めると……  僕は堅い木の床に頬を押しつけて眠っていたはずなのに、懐かしい温もりを感じていた。  何……?    そっと目を開けると、流の膝に頬をあてていた。    動揺した。  流が膝枕を?  どうして?    途端に、弟の密かな優しさに触れ、照れ臭いのと嬉しいのが交差して、そわそわと落ち着かなくなってしまった。  もぞもぞと身動ぎするが、流の反応はない。  もしかして……  思い切って起き上がってみると、案の定、流は柱にもたれて目を瞑っていた。  なんだ、流も眠っていたのか。  いい夢を見ているのだろうか。  いつもはキュッと固く結ばれた口元が、優しく緩んでいた。  あぁ、わんぱくだった頃の面影は、まだここにいてくれたんだね。  鳥の囀りに誘われ竹林に目をやると、先程までの日溜まりは消え、再び曇天になっていた。    春の天気は変わりやすいね。  いっそ、このまままた雨が降ればいい。  どうして、そんな風に思うのか。  それは遠い昔を思い出したからだ。 …… 「おれ、にーたんのあおいかさがいい」 「いいよ、ぼくのカサと、とりかえっこしよう」 「ううん。ちがう! いっしょに、はいりたいの!」 「くすっ、いいよ。おいで」 「やったー!」 ……  流は自分の黄色い傘を空に放り投げて、僕の傘の中に勢いよく飛び込んで来た。 …… 「わぁ!」 「えへへ、にーたん、だいすき!」 「くすぐったいよ。りゅーう!」 ……  そのまま一緒に転んで、水溜まりにはまってしまったこともあったね。  あどけない弟との可愛い会話が、鮮やかに蘇る。  あの頃の流は、僕よりずっと小さくて可愛かったなぁ。  いつも僕の後ろにくっついて懐いてくれた。    最後に一緒に傘に入ったのは、いつだったか。  そうだ。僕が高校生の時、下校時に偶然会って、古典を教えてくれと強引に入って来たことがあったな。  ……あの日の帰り道、傘の中で肩をぴたりと寄せ合った僕たちは、今は随分遠い所に来てしまった。  流は、最近ますます僕に対して余所余所しくなった気がする。  僕の目が治るにつれ流との距離が離れていくのが、寂しかったよ。  今、触れてくれるのは、僕が転た寝した時だけなんて寂しい。  流の温もりが微かに残る右頬をそっと押さえ、目を閉じた。  雨よ降れ――  そう願わずにいられない。  今、雨が降ったら、一緒の傘に入ってくれるか。  離れの茶室に、置き傘は一本しかない。  それを知っているから強く願ってしまう。  雨に濡れたいのではない。  流に触れたいんだ。  そんな風に突然僕が口走ったら、どうなるのか。  僕は……なんて馬鹿なことを――  一人自嘲していると、流が目覚めたようだ。 「あっ、兄さん、起きたのですね。そろそろ戻りますか」 「……もう少しここに居たい」 「……それは、いつ迄ですか」 「……雨が降るまで」  流がハッと息を呑んだのが分かった。
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