色は匂へど 3

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色は匂へど 3

 『重なる月』花が咲く音21とリンクしています。あちらは流視点。こちらは翠視点です。https://estar.jp/novels/25539945/viewer?page=577 ****  薙がこの寺に来ることを了承してくれたのは嬉しい。  だが不安も尽きない。  果たして、僕はここで薙と上手くやっていけるのだろうか。  もう何年も会っていないんだ。成長するにつれ僕をまともに見てくれなくなったあの子と……    離婚してからも彼女の欲望のままに動かざるを得ない僕は、とても情けない父親として映っているのではないか。  キュッと唇を噛んで手紙を握りしめいると、遠くの床が軋む音がした。  一歩一歩踏みしめるように歩く、力強い足音は…… 「兄さん、入ってもいいですか」 「ああ流か……いいよ」  僕は反射的に彩乃さんからの手紙を後ろ手にまわして隠した。 「もう仕度は出来ましたか」 「うん、どうかな?」  顔をあげて袈裟姿を見せると、流も男気溢れる笑みを浮かべ、僕を真っ直ぐに見つめてきた。  視線が絡み合うように交差すると、胸の鼓動が早まっていく。 「あれ……」  流が作務衣ではなくスーツを着ているのに、少し驚いた。  ストイックなスーツも、流にかかれば野性味溢れるものとなる。  流はなんて魅力的な男性に成長したのか。  我が弟ながら見惚れてしまいそうだよ。  流の方も、僕をうっとりと見つめているのは気のせいか。 「兄さんはやはり袈裟が一番似合いますね」 「そうかな? 流にそう言われると嬉しいよ。ところで流がスーツなんて珍しいね」 「ははっ、流石に今日はいつもの作務衣というわけにはいかないでしょう」 「……流だって袈裟を持っているのに」 「いや、こんな頭に似合いませんよ」  肩まで伸ばした漆黒の黒髪。    それを無造作に束ねながら、朗らかに笑っている。 「そんなことはない。どんな姿でも似合うよ」 「……そうですか」  なんとなく照れ臭くなって、話題を変えた。 「洋くんも丈も、もう仕度は整ったのかな?」 「ばっちりですよ」 「そうか、では時間だね」  廊下に出ようとすると呼び止められた。 「あの……もしかして……何かあったのですか」 「あっ、うん」  今日は晴れの日だ。  彩乃さんの手紙については一旦置いて過ごそうと思ったのに、流は僕の些細な心の変化に気付いてしまったようだ。 「なんです? それ」 「あっ……」  僕が後ろ手に隠したものを、ひょいと覗いて顎に手をあてた。  言い淀んでしまう。    この場で彩乃さんの話題を出すのは憚られる。  だが、そんな気持ちごと、流は持って行ってしまった。 「見せて下さい。兄さんを不安にさせるものは、知る権利があります」  僕からさっと手紙を奪い取ると、差出人を見て驚いていた。 「……彩乃さんから? 珍しいですね」 「実は昨日この手紙が届いて……」 「何か困ったことでも?」 「今日はいいよ。今度話す」  僕はぎこちない笑顔を浮かべるしかなかった。 「駄目です。今日は大事な晴れの日です。そんな風に悩みながらは良くないでしょう。どうか隠さないで下さい」  そう言われて、確かにその通りだと思った。  僕はもうすべてを流に委ねる覚悟だ。だから悩みも隠さずに伝えよう。 「実は彼女が来月、急にフランスに行くことになったそうだ」 「フランス? それはまた随分遠くですね」 「向こうの美術館に勤めるらしい。それは以前から彼女の夢であったから、ようやく採用されたと喜んで……」 「そうか、なら朗報なのか」 「そうだね。それで実はここに薙を引き取ろうと思っている」 「えぇっ‼」  流石に流も驚いたようだ。    無理もない話だ。ここ数年、話題から遠ざかっていた息子を急に引き取るだなんて。 「彩乃さん自ら、大事な息子を手放すと?」 「うん……彼女も薙も望んでいるそうだ」 「……なら賛成ですよ。俺も薙は好きです。もう十四歳なんて早いですね」 「流……本当にそうしてもいいのか」 「もちろん。兄さんの息子です。ここで一緒に育てましょう。俺も協力しますよ」 「ありがとう。ほっとしたよ。流がそう言ってくれるのが本当に嬉しいよ」  流が一緒に育ててくれる。  その言葉が心底嬉しかった。    しかし、流の目は遠かった。  瞳に諦めのようなものを感じた。    そうじゃない。流……諦めるのはまだ早い。  そう……声を大にして叫びたくなった。  今日という日は、この月影寺をも動かす大切な日なんだ。  僕はこの流れに乗ろうと思っている。  僕がずっと出来なかったことを越えてみたいんだ。    遥かなる時空を超えて、大切な想いが集まってくるような、厳かな気配が満ちていく。 「さぁ行こう。流は僕から……離れるな」 「……兄さん」  丈と洋くんが切り開いてくれる世界に、僕たちも足を踏み入れよう。
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