色は匂へど 17

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色は匂へど 17

「翠……」  ドクンと全身の血が沸き立つ感覚を覚えた。  走馬燈のように記憶を駆け巡るのは、夕凪の世界を生きた僕の先祖。  その名は『湖翠』  今、重なっていく――  遠い記憶が、この世の僕と重なっていく。  夢の中の君は、僕だった。  そして遠い昔の日、君が泣きながら引き留めた相手『流水』は流だ。  全ての謎が解けていく。 「湖翠……」  君は彼からそう呼んでもらいたかったんだね。  だが、彼に呼んでもらえる日はついに来なかったのか。  何故? 彼は君を置いて、どこへ行ってしまったのか。  その先のことを考えると、胸を鷲掴みにされるように痛んだ。 「翠、駄目だ。その先の記憶は思い出さなくていい。あんな悲しすぎる結末は一度でいい! 二度とそんな目には遭わせない」  諫める声が聴こえた。  それは目の前に立つ流の声だった。  僕は絡めるように繋いでいた手を一旦離し、呆然と流を見上げた。 「流……僕は……」  流は生まれた時からずっと大事な弟だった。  なのに、今、僕を見下ろす流は、まるで初めて会う男のように見える。  ゆっくりとスローモーションのように逞しい手が伸びて来た。  僕はその手を避けられない。  いや避けたくなんてない。  ずっと待っていたものだから。  その手は僕の両肩を掴み、そしてもう一度低い声で僕を呼んだ。 「……翠」  何故だ。  弟なのに、こんなにも胸が騒ぐなんて。  もうはっきりと全てを認めよう。  僕はいつからか流のことを意識していた。それは弟に対する、家族としての愛情を越えていた。最初は兄として守ってあげたくなる可愛い存在だったのに、ある日、僕の背を追い抜かし、僕をすっぽりと包み込めるほど頼もしく成長した流の姿に驚いた。  あの日芽生えたのは……今考えると……愛だったのか。  そして月日は経ち、あの日がやってきた。  奈落の底に突き落とされた僕を、優しく抱きしめてくれたのは流だった。  あの頃から流を僕は少しずつ意識し出した。  だが僕は……寺の跡取り、長男としての立場を捨てるわけにはいかず、沸き続ける流への危うい気持ちを封印し、結婚してしまった。  月影寺から離れ、結婚生活に専念したのもつかの間、離婚という形で再び戻って来た。そんな僕を迎えてくれた流は、前のように気さくには話さなくなった。どこか余所余所しい敬語を交え付き人のように接してきた。それでもどんな時も片時も離れずに傍にいてくれた。  今ではもう流なしでは生きていけない程、僕は流を頼っている。    そこまで信頼出来るのは、僕が流を愛しているからなんだ。  頭の中で流との関係を整理した瞬間だった。  突然、温かいものが唇にあたったのは。 「えっ」  僕の理性とぶつかった音がした。 「あっ……それは……駄目だ……僕たちは……実の兄弟だ」  身を捩って唇から逃げようとしたが、逆に顎を固定され、もう一度塞がれてしまった。 「うっ」 「翠……今はそれは忘れろ」  客室の灯りは消えていた。  窓の外に浮かぶ月明りだけが頼りだ。  月光に照らされた二人の影がぴたりと重なった。  心が震える。  手が震え、握りしめていた月の帯留めが、するりと滑り落ちていく。  拾おうとした僕の手を流が掴んで、窓ガラスに押し付けた。  そして、また口づけをされた。 「くっ……ふっ…」  信じられない気持ちで目を見開いた。  どうして僕は弟とこんなに深い口づけを…… 「んっ……あ……」  戸惑いと同時に、長年の捜し物が見つかった想いも満ちて来た。  流と目が合う。  熱の籠もった深まる口づけと共に、流の長年の想いが流れ込んでくるようだ。まるで濁流のように、僕を呑み込んでいく。 「あっ……うっ……」  流の熱情に溺れそうだ。 「えっ……」  しばらくすると、流の手が僕の浴衣の上を彷徨っているのに気付いた。胸の小さな突起の在り処を探しているようで、ようやく探り当てた指先は遠慮無く布越しに胸の尖りをきゅっと摘まんできた。 「あっ……」  変な所から声が出てしまった。  そんな所をそんな風に触れてはいけない。  そう思うのに、身体に力が入らない。 「流っ、あっ……もう、それ以上は駄目だ」 「翠、もう止まらないんだ。もう我慢の限界だ! それに、もう付けてしまったんだ。翠が俺の物だという証を」 「あっ」  先ほど脱衣場で気付いた皮膚に残された赤い痕。  流は、そのことを言っているのか。 「もう一度見せてくれ」 「えっ」  浴衣の胸元から手を差し入れられ、片方の肩から抜かれたので、胸元がはらりと露わになってしまった。  肌を露わにすることに、これほどまでの羞恥を抱いたことはない。  浮かび上がるのは、月下に咲く椿のように凍える花。  冷房のよく効いた部屋で剥き出しにされた肌は、鳥肌を立てて震えていた。  そこを温かい舌先で舐められた。 「あぁ……だっ、駄目だっ。もう離せ! これ以上は僕に触れてはいけない」 「翠、翠……嫌だ。行くな……ここにいてくれ」  熱にうなされたように流が僕を何度も呼ぶ。  あの世界でも、そう呼ばれてみたかった。  どんなに望んでも、その声は届かなかった。  だから……この世がそうなのか。  遠い昔の彼らが長く憧れた待ち望んだ世界なのか。 「翠……月下に咲く花のようだ」  そう囁かれた途端、身体が熱く火照り、我慢出来ない程に疼き出してしまった。  身体の奥に、知らなかった何かが目覚めていく。  窓ガラスに貼り付けられた僕の身体。  胸元に流がまるで縋るように吸い付いて来る。  舌先で乳輪をなぞられ、乳首を甘く含まれる。  流の熱い息が胸元にかかる。  流は興奮した様子で、僕の胸を貪った。 「んっ……やめ…ろ……あっ……駄目だ」  本当は嫌じゃない。  むしろ気持ちいい。  気が遠くなる程の長い時間待ち望んだものが、ついにやってきた喜びすら感じている。    「あぁっ」  月が満ちていく。  どうやら僕の人生が大きく変化する時が来たようだ。
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