色は匂へど 18

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色は匂へど 18

「流っ、もう駄目だ。それ以上は触れてはいけない」 「翠はこの後に及んで、まだそんなことを」 「あうっ!」  乳首をカリッと噛まれて、身体が大きく仰け反った。 「痛っ」  拘束が緩んだ隙に、身体を捻って窓硝子に両手をついた。  すると流の大きな手によって、もう片方の肩もずるっと剥き出しにされた。  「あぁっ」  浴衣の乱れと共に、僕の頭の中も混乱していく。  駄目だ、溺れていく……  快楽に抗いながら涙で滲む目で窓の外を見ると、大きな満月が海上に浮かんでいた。  白く気高く眩い光に、僕は包まれていた。  月にこの行為を見られていることを悟り、急に怖くなった。  一気に越えたいと願っていたのに、ここまで来て怯んでしまうなんて情けない。  実の兄弟で欲情し合う。  これは禁忌、あるまじき行為だ。  だからずっと自制していたが……  もう戻れない場所に来てしまった。  「翠、ここまで来て逃げるな。愛している……愛しているよ」  耳元で子守歌のように囁かれる愛の言葉に、僕の心は震えた。  心が悦んでいるのだ。  僕はその言葉を待っていた。  ずっとそう言ってもらいたかった。  しかしどんなに待っても、その言葉は届くことはなかった。  この世と別れを告げる瞬間まで待っていたのに。  だからなのか、今こそ熱い想いを受け止めたい。  そう心の奥底から渇望している。  背後から伸びてくる流の手に、そっと僕の手を重ねた。  包まれていることに安らぎを感じ、僕はこの手をずっと待っていたのだと確信した。  僕たち、宇宙を漂う船のように旅に出よう。  流に抱かれ、禁断の世界へ旅立つ覚悟は整った。 「好きだ……好きなんだ! ずっと愛していた。今もこの先もずっと愛している」  苦しげな表情を浮かべた弟の口から、次々に溢れ出すのは愛の言葉。  それは僕の身体を濡らしていく。  禁断の愛の言葉なのに、自然に受け止められる。  僕も流を愛している。  恐らくずっと前から潜在的に潜んでいた気持ちだ。  兄弟の愛情だとすり替えていたが、そうではなかった。  男女の恋愛のように、男であり実の弟の流を愛している。  僕は君を愛してしまっていた。  流が悪いんじゃない。  僕の方から好きになった。 「ずっと我慢していた。翠は……俺の兄さんなのにごめんな。だが今は兄さんだとは思えない。俺に委ねてくれないか。全てを明け渡してくれないか。潤いを与えてくれないか」  謝られて違うと思った。  僕だってずっとお前を…… 「謝るのは僕の方だ。僕も流を……」 ****  ついに翠から愛の言葉を聞けるのか。  どんなに待ち望んだか。  弟ではなく、一人の男として俺を見てくれる日を。  ゴクリと喉を鳴らした瞬間、丈と洋が貸し切り露天風呂から戻ってきてしまった。  ガチャガチャ――  ドアが開く音がすると、翠は焦りと恐怖で身体を強ばらせた。  大丈夫、兄さんが悲しむようなことはしない。 「翠、こっちだ」  俺たちの部屋に翠を押し込むと、入れ違いに部屋の明かりがついた。 「あっ……流、どうしよう?」  可愛いな。こんなに怯えて震えて、へなへなと座り込みそうな身体を支えて、乱れまくった浴衣を手際よく直してやった。 「よし、これで大丈夫だ」  翠を両手で包み込み、背中を優しくトントンと叩いてやった。そしてそのままベッドに座らせた。 「悪かった。落ち着いてくれ」  そう呼ぶと、翠は名残惜しそうに俺を見上げた。  そして自分の唇にそっと手をあてた。  おい、その行為はやめろ! 誘っているのか。  俺の唾液で濡れた唇を、再び貪りたくなる。  翠の唇は苺のように赤く熟れていた。  それは俺たちが口付けを交わした時間が、とても長く深かったことを物語っていた。  すると急に翠は顔を赤らめ、顔を背けてしまった。  もぞもぞと身体を動かす様子に……  もしかして熱が収まらないのか。  俺に乳首を吸われて感じてくれたのか。    下半身に兆しがあったのか。    そんなあけすけなことを尋ねたくなった。  間もなく俺たちの部屋のドアがノックされた。 「流兄さん、翠兄さん、いますか」  丈の声だ。 「あぁ悪い。少し横になっていた」  俺が対応している間、翠はぼんやりとベッドに横たわっていた。  どこかまだ夢見心地で、身体に力が入らないようだ。 「翠兄さんは?」 「あぁ、慣れないことばかりで疲れが出たらしい。もう少し寝かして、少し経ったら起こすから、先に酒を飲もう」 「分かりました。じゃあ用意しています」 「了解! 俺はルームサービスに夕食を頼んでおくよ」 「お願いします。あ、洋の好きなハンバーグを忘れずに」 「ハンバーグ?」 「えぇ」 「くっ、可愛いな。じゃあ兄さんの好きな寿司も頼もう。で、丈は何が好きだ?」 「私はなんでも食べますが……」 「可愛げがないなぁ。じゃあお子様セットにするか。丈ちゃんよ」 「兄さんっ! いい加減にしてくださいよ、面目が……」  ルームサービスの電話を終えて、振り返ると翠はすやすやと眠っていた。 「翠……少し休め」  そっと頬を撫で、それから耳元で甘く強請るように囁いた。 「翠……夜が更けたらさっきの続きを所望してもいいか。今度は最後まで辿り着きたい、俺を受け入れてくれるか」  ―― いいよ……僕もそうしたい ――  翠からの返事が聞こえた気がした。  翠の寝顔はどこまでも穏やかだった。    
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