枯れゆけば 9

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枯れゆけば 9

 促されるがままに、夕暮れに染まる寺の庭を散歩する羽目になってしまった。  この姿は僕であって僕ではない、これは仮の姿だ。  そう思うと今僕が立っている世界も仮の世のように感じ、少し怖くなった。  寺の廊下に伸びる黒い影は、すっかり女性のものとなっていた。達哉のお姉さんが持って来てくれた巫女衣装は、所謂コスプレ用のものではなく、実際に寺に手伝いにくる助勤巫女が身に着ける物ので、変に安っぽくなく寺にはよく馴染んでいた。  そのお陰で何の違和感もなく、寺の廊下を歩くことが出来た。  この状況で男だとバレるのはもっと恥ずかしいことなので、女性の歩く姿を頭の中で想像し、いつもより歩幅を狭く楚々とした面持ちで歩いた。  庭に出るまで何人かの作務衣姿の僧とすれ違ったが、誰も僕が男だとは気が付かなかったようだ。 「ふぅ、良かった。次は庭に行ってみよう」  この寺の庭も立派だな。寺を覆うように近くに小高い山が見え、山の木々は所々赤や黄色に色付き始めている。  ふと見ると手前に大きな池があった。池には足早に散った紅葉が浮いており、池の深みのある水色の上を、まだ若い紅葉が健気に舞っていた。 「あっ……」  その池に映り込む自分の姿を見て、思わず後ずさりしてしまった。  黒髪のあどけない少女が、池を覗き込んでいた。  長い髪が秋風になびいて肩の下で揺れ、軽く粉をはたいた顔はいつもより白く、袴と同じ色の口紅が目立っていた。口紅なんて初めてつけたよ。唇の上に一枚油の膜が出来たみたいで、ベトベトして心地悪かった。  あまり人に姿を見せたくなかったので、更に寺の奥庭へ入ると、空を覆う鬱蒼とした木々のせいで、まだ夕暮れ時なのに辺りはぐっと暗かった。  その暗さが僕の気分を更に押し下げてしまう。  はぁ、こんな姿、父に見られたら怒られるだろうな。  弟達にも、とても見せれない。  特に流には……見せたくない。  でも……あとは当日の数時間を乗り切れば済む話だ。僕の寺にも助勤巫女が来ることがあるので、いずれ何かの役に立つだろう。  そう必死に自分を励まし、言い聞かせた。  それにしても長い髪よりむしろ胸元の本来あるはずがない膨らみに慣れないし、スースーして心許ない。  早く帰りたい。  その場で立ち尽くし、じっと時が過ぎるのを待った。  そろそろかな?   そっと忍ばせた腕時計を確認すると、約束の三十分が経過していた。  良かった、これでようやく戻れる。  早くこの衣装を脱いで制服に着替えたい。  男の姿に戻りたい。  早く家に帰りたい。  早く流に会いたい。  約束の時間が過ぎた途端、そんな気持ちが一気に押し寄せてきた。  ところが踵を返して寺に戻ろうと歩きだすと、突然背後から誰かに呼び止められてしまった。 「おい、ちょっと待てよ!」
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