幼き日々 2

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幼き日々 2

「もう大丈夫だっ」  パシッー  なんだか……もぞもぞして落ち着かない。  恥ずかしくなって、思わず翠兄さんの手を払ってしまった。 「え?」  俺の行動に驚いた翠兄さんが、目を丸くしていた。 「こらっ流、ちゃんと聞いてるのか! お前のために話しているのに、さっきからよそ見ばかりしおって」  案の定おじいさまの雷がドカンっと落ちて、結局一時間以上もお説教され、やっと解放された。 「はー 疲れた! 翠兄さん早く、早く」 「流、廊下を走るとまた叱られてしまうよ」  早く部屋に行って翠兄さんと遊びたいと、俺は喜び勇んでいた。  なのに部屋に荷物を運んでいた母に呼び止められた。 「あっ 流、待ちなさい。あなたの部屋は、そっちじゃなくて、こっちよ」  毎年俺は翠兄さんと同じ部屋で過ごしていたのに、今年は駄目だと母に言われた。 「えー なんでだよ? 俺は翠兄さんと同じ部屋がいい! 一緒じゃなきゃイヤだ!」 「流、言うこと聞かないと駄目よ。翠は受験勉強があるから、今年からは丈と一緒の部屋にして」 「えー やだ! 丈の面倒なんてみたくない」 「……」  無関心な丈は、我関せずといった様子で部屋にさっさと入り、隅っこで持ってきた本を読みだした。  こんな覇気のないつまんない弟と一緒なんて、絶対にイヤだ! 「去年まで丈は母さんの部屋で寝起きしていたのに、なんでだよ!」 「何言ってるの? 丈はほらもう部屋に入ったわよ。あなたももう十歳なんだから、弟の面倒をみてくれない? いつまでも翠に頼ってないで」 「なんだよ。母さんなんて嫌いだ。翠兄さんも丈も嫌いだ! みんななんて大っ嫌いだ」 「こらっ! もうこの子は我が儘ね。とにかく部屋に入りなさい」  母に手を引っ張られたので悔しくて睨みつけると、その横で翠兄さんが酷く悲し気な表情を浮かべていた。  あっ、まずい翠兄さんも嫌いだなんて。  つい思ってもないことを口走ってしまった。  その表情を見た途端、胸の奥がギュッと痛くなった。 「もういいっ!」  ふんっ、知るか!   俺は部屋に入るなり押し入れから布団を乱暴に引きずり降ろして、掛布団の中に潜り込んだ。  絶対絶対に嫌だ!   翠兄さんと同じ部屋じゃなきゃ駄目だ。  湧き上がってくる怒りをぶつける矛先が見つからず、布団の中で悔し涙が溢れてきたので必死に拭った。  頭の中では……さっきの翠兄さんの悲し気な顔を浮かんでは消えていく。 「もう、この子は手に負えないわ。さぁもう放って置きましょう。翠、あなたは塾の宿題をしなくちゃ駄目よ。ほら、もう行きなさい」 「……はい」  母の足音が遠ざかり、兄も小さな溜息の後、隣の部屋に消えてしまった。  襖が静かに閉まる音がした途端、一気に悲しみが込み上げて来た。  あ……もしかしたら翠兄さんに嫌われたかもしれない。  そう思うと悔し涙は悲しい涙になり、ボロボロと溢れだした。 「うっ、うう……うう」  くそっカッコ悪い! こんなことで泣くなんて。  それでも翠兄さんが行ってしまったことが悲しくて、涙を止めることが出来なかった。  こんなカッコ悪い姿、丈には見られたくない。だから布団の中で嗚咽を必死に堪えた。  でも悲しいよ……寂しいよ……兄さんに嫌われたら、どうしたらいい。  どっちに行ったらいいか。どうしたらいいか。  自分自身の扱いに困って布団の中で感情を持て余していると、ふわりと翠兄さんの声が降って来た。  それはいつもの優しい静かな声だった。 「流、流……もう大丈夫だよ。お兄ちゃんが来たよ。さぁ出ておいで」
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