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届かない距離 3
翠兄さんと別れて、自分の部屋に戻り学生鞄を畳に放り投げた。
「チェッ! あー なんだかもう何もかもつまらない!」
兄さんも兄さんだ。こんな雪が降りそうな寒い日に、わざわざ自分から達哉さんの所へ行くなんて馬鹿みたいだ。
受験を明後日に控え、明日には京都へ行く大事な日なくせに。
そこまで頭の中で怒りを爆発させると、次に俺を襲ったのは激しい後悔だった。
受験前の兄さんを一人で夜道に出してしまった。
昨日から少し風邪気味で少し咳もしていたのに、大丈夫かな?
やっぱり俺が取りに行ってやればよかったな。
俺は、意地が悪い。
どうしてその一言が出なかったんだよ。
これじゃ……
兄さんに追いつきたい。
兄さんのこと守れるようになりたい。
そう願う気持ちが、いつまでも空回りするだけだ。
そのまま敷きっぱなしの布団に制服のまま寝そべって、うたた寝をしてしまったようで、次の瞬間、母の金切り声で飛び起きた。
「流っ、ご飯だって言ってるでしょ! 早く来なさいっ」
やばい。あれから寝ちまったのか。
慌てて枕元の目覚まし時計を掴んで確認すると、もう六時過ぎだった。
えっ、あれから一時間以上寝ちゃったのか。
一瞬のつもりだったのに。
急いで制服を脱ぎ捨て、普段着で母屋へ続く渡り廊下に出た。
「うわっ、寒っ!」
渡り廊下は屋外なので、もろに外気にあたって、一気に目が覚めた。
寺の庭先の灯篭の下に白くちらつくものが見えた。
風が吹くと軽やかにふわりと舞って、四方八方へと広がっていく。
「あぁ、雪か。やっぱり降って来たんだ」
苔むした庭は、既にうっすら白く化粧を始めていた。
このままどんどん積もりそうな勢いだ。
食卓に座ると、とっくに帰っていると思っていた兄の姿がなかった。
「あれ……母さん、翠兄さんは?」
「あぁ翠ならさっき電話があって、お友達の達哉くんの家にいるので遅くなるって言ってたわ。先に夕食食べてって。受験生二人でお勉強かしらね?」
「はぁ? なんだよっそれ。雪が降っているのに?」
「まぁ、流は一体何をそんなに怒っているの? 翠だってもう高校三年生よ。それくらい分かっているでしょう」
無性に腹立たしかった。
明日には京都へ行ってしまう兄なんだ。もちろん受験のためだから数日で帰って来るのは分かっていても寂しかった。
せめて……今日は一緒に夕食を食べたかった。
本当にそれだけだったんだ。
意地悪するつもりなんてなかったのに……
母の揚げてくれた大好物のトンカツも、兄がいなけりゃ美味しくない。
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