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届かない距離 6
家へ帰る道すがら……
俺よりも背も低くほっそりとした体つきの兄を、初めて俺の方から抱き寄せた。
まだショックから微かに震えている兄をギュッと抱きしめてやった。
幼い頃はいつも兄が俺を宥めるために、あやすように抱きしめてくれたが、俺達は随分長いこと、こうやって触れ合っていなかった気がした。
本当に間に合って良かった。
夕食を食べようと思ったが、帰りが遅くなると電話してきた兄のことがどうしても気になった。雪も降り出していたし、くしゃみをしていた兄に優しい言葉一つかけられなかったこともあって、そんな自分が嫌だったから兄を迎えに行くことにした。
……
「母さん、俺……やっぱり兄さんを迎えに行ってくるよ」
「そうね、母さんも頼もうと思っていたの、ありがとう」
……
克哉の家には何度か遊びに行ったことがあるので、俺は勝手に敷地内に入り、ちらっと離れにある克哉の部屋を覗いたが、電気は付いていなかった。隣が克哉の兄の達哉さんの部屋だと知っていたので、そのまま隣の部屋の前に立った。
今度は電気が付いていた。
兄さん、ここにいるのか。
達哉さんと楽しく勉強をしているのか。
そんな妬むような気持でカーテンの隙間から部屋の中を覗くと、驚くべき光景を見てしまった。
「な、なんだ? なんてことを!」
克哉に押し倒される兄さん。
抵抗し突っぱねようと伸ばされた細い腕。
金縛りにあったように動けなかったのは一瞬だ。
兄さんの抵抗する声が微かに聞こえ、それに後押しされるように、俺は部屋に突入していた。
そして気が付いたら兄さんに覆いかぶさっていた克哉を殴り飛ばしていた。兄さんが止めてくれなかったら、鼻の骨が折れるまで殴っていたと思う。
「クシュンっ」
胸元の翠兄さんの肩が、ビクッと揺れた。
「兄さん寒いんじゃないか」
「あ……マフラー忘れてきた」
「本当に馬鹿だな。受験前の大事な時なんだろ。ほらっ」
俺のマフラーを首に巻いてやると、兄さんはさりげなく俺から身体を離した。
「流……ごめんな。変なとこ見せて……どうか……お願いだから誰にも言わないで……そして忘れて欲しい」
気まずそうに俯きながらふざけたことを言う、兄さんに溜息が漏れてしまった。
なんで俺にまで謝るんだよ!
忘れろって?
俺の兄さんをあんな風に扱ったことを?
兄さんは本当に馬鹿だ! 大馬鹿だ!
忘れていた怒りがこみあげて来て、結局俺はまた兄さんに八つ当たりをしてしまった。
「くそっ! なんで男なんかに襲われてるんだよ! もっと気をつけろよ」
最低だ。
何か言いたげに、でも言えなくて、唇をきゅっと噛みしめる兄さんの表情が痛かった。
心に棘が刺さるようだった。
そのまま無言で俺達は家に戻った。
もう何を話しても無駄のような気がした。
結局兄さんは隠し、俺は許せない。
その繰り返しだ。
くしゃみを連発して冷え切った兄さんは、母さんにあれこれと世話を焼かれていたので、俺はそれを尻目に、さっさと部屋に戻った。
「おやすみ……」
その一言も言えなかった。
兄さんは何もなかったように静かにいつも通りに振る舞っていた。
嘘つきで意地っ張りだ。
本当は泣くほど怖い目に遭った癖に。
****
「……何時だ」
ふと目覚めてしまった。
目を凝らすが、まだ暗闇の世界だった。
朝が来ているなら建て付けの悪い雨戸の隙間から朝日が漏れて来るはずだ。
まだ真夜中かよ。
寒いので目覚まし時計を見るのも億劫だ。
いつもなら朝までぐっすり寝れるのに、やはり昨夜のショッキングな出来事が尾を引いているようだ。そんなことを考えながら、もう一度ウトウトしだした時だった。
隣の部屋から物音がした。
ドサッと人が倒れるような音。
兄の部屋からだ。
まさか兄さんに何かあったのか。
俺は慌てて裸足のまま廊下に出て兄の部屋の襖を開けると、兄が布団の横に蹲るように倒れていた。
「兄さん?」
「んっ……」
苦しそうにきゅっと眉根を寄せて蹲るように横たわる兄に触れた時、その身体が燃えるように熱いことに気が付いた。
「兄さんっ、まさか熱があるのか」
今度は額に手をあててみると、汗ばんだ額は燃えるようだ。
熱い!
明らかに発熱している。
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