届かない距離 10

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届かない距離 10

 やっぱり寒いな。  マフラー持ってくればよかった。  あ……でも僕のマフラーは達哉の家に忘れてきてしまったから、もう……ないんだ。  嫌なことを思い出したと頭をぶるっと振ると、いきなり横から声を掛けられて心臓が止まる程驚いた。  だっ、誰だ? 「……翠」  茂みから現れたのは、達哉だった。  取りあえず安堵した。万が一、彼だったらどうしようと、ひやっとした。 「た……達哉、どうしたんだ? こんなに朝早く」 「あぁ……あのさ」  しきりに顎を触って気まずそうな様子。でも何か言いたそうだ。 「何?」 「今から駅に行くんだろ? 一緒に行こう。俺も同じ大学受けるから」 「え? だってお前はここは受けないって言ってのに……それに、もう大阪の大学に合格したんだろう? 大学は家を出たいって」 「気が変わったんだ。翠も京都に行かないし」 「あっ……それ……もう知って……」 「……学校に行ったら先生達が噂していてな。インフルエンザで受けられなかったんだって? ……あの翌日だったから、もしかして」 「もう言うな! あの日のことはお互い忘れよう」 「だが……」 「いいんだ。僕がいつまでも引き摺っていると、流にも悪影響だ」 「そうか」  話しながら歩き出すと、ふと茂みの奥に見慣れたものが見えた。 「あれは……」  ぐっと茂みに足を踏み入れ拾いあげると、僕の灰色のマフラーと辞書が雪解けの水を含んでぐっしょりと濡れていた。 「……これは」 「あっ! あいつこれ渡さなかったのか」 「どういうこと?」 「……あの翌朝だ。翠の忘れ物のマフラーと借りていた辞書を届けに来たら、流くんと山門で会って、彼に託したんだよ」  ……じゃあそのまま、流はここに捨てたんだな。  流がしたことは良くないが、あの日の流の理不尽な気持ちを思えば仕方がないとも思った。 「……弟が不快な思いさせてごめん」 「いや、いいんだ。この位のこと。俺の弟はもっとお前に不快なことをした」  またその話に戻るのか。  もう僕は忘れたいのに…… 「もういいよ、忘れよう」 「俺もこっちの大学に行ってここから通うよ。ちゃんと弟のことを見張っている。これ以上翠に迷惑がかかるようなことがないように」 「達哉が悪いわけじゃない。もうお前はそんなに気にするな」 「あっ、ちょっとまって、茂みにお守りも落ちてなかったか」  達哉がUターンして茂みをガサガサと探し始めたので、その様子をぼんやりと見つめた。 「あれ? ないな」 「もしかして僕に?」 「流くんも流石に寺の子だからお守りを投げ捨てることは出来なかったんだな」 「そうか……重ね重ね、ごめん」 「いいんだ。さぁ行こう。絶対受かろうな。二人で」 「そうだな」  達哉といると安心できるのに、どうして弟の克哉くんは怖いのだろう?  されたことは消えない。  恐怖心も消えない。  でもこの先も、克哉くんは達哉の弟として存在し続けるのだから、どこかで折り合いをつけていくことになるのだろうか。  流にこれ以上迷惑をかけないためにも、僕自身が気を付けていかないと。  流の心を傷つけるのは許さない。  流の心を守ってやりたい。  バスに揺られながら、遠くに見える鎌倉の冬景色に、未来への覚悟を決めた。 ****  くそっ〜 インフルエンザにかかるなんて、生まれて初めてだぜ。  今日は絶対に兄さんを駅まで送ってやりたかったのに、それが出来なかったことが悔しい。  乾いた唇を噛みしめると、うっすらと血の味がした。  克哉を殴った時のことを思い出す。  あれから克哉とは全く口を聞いていない。  二度と聞くもんんか!  最低最悪な奴だ。  俺の大事な兄さんに手を出すなんて!  あの時あいつは兄さんを羽交い絞めにして覆い被さり、片手で兄さんの顎を押さえつけ、胸元を熱心に弄っていた。  俺から見たら、無理矢理キスされる寸前に見えた。  キスは……避けられたのか。  くそっ気になる!  それにしたって……兄さんに面と向かって聞けないことばかりで、悶々としてくる。  身体が火照るのは熱のせいか、それとも……  兄さんの身体に触れてもいいのは、俺だけだ。  そんな独占欲が、確かに芽生えた。
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