幼き日々 3

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幼き日々 3

 布団越しに聞こえた翠兄さんの優しく甘い声で、一気に気が晴れた! 「流、今からお兄ちゃんと外に遊びに行こう」 「本当?」 「本当だよ。約束したの、忘れちゃった?」 「いく、いく!」  ガバッと布団を跳ね飛ばして飛び起きると、優しい兄の笑顔が待っていた。    俺にだけ特別に甘い表情を向けてくれる兄さんが、大好きだ。 「あーあ、馬鹿だね、こんなに汗をかいて」  兄の綺麗な手が、俺のおでこにスッとふれた。  いつも兄はこうやって、俺の肌に直接触れて安心させてくれる。  もっと小さい頃は、俺達はいつだって手を繋いでいた。  母の手は丈が生まれてからは、丈を抱くものになってしまったが、その代りにいつだって兄がギュッと繋いでくれた。 「りゅーう、離れちゃだめだよ」 「うん!」  俺の額の汗が兄の指を濡らしていくのを見ていると妙な気持ちになったので、慌てて振り払った。 「もう大丈夫だ。それより翠兄さん、本当に外に遊びにいけるの?」 「あぁそうしよう、えっと……丈も行くかい?」  優しい兄さんは、欠かさず丈にも声をかける。  だが丈はいつもそっけなく「いかない」と答えるだけだ。  フンっ、相変わらずつまんない奴だな。せっかく誘ってやっているのに。  でも翠兄さんと二人きりで出掛けられるのがうれしかったので、そんなことどうでも良かった。 「兄さんが勉強しないで遊んだことがバレたら、あとで怒られるかな?」 「大丈夫だよ。夜までにさっと終わらせておくよ。父さんも母さんも本堂で忙しそうにしていたから、きっと気づかないよ」  ここ北鎌倉は、俺の住んでいる団地の近くの公園とは比べ物にならない程、自然であふれている。  おじいさま(この言い方、舌をかみそうだ!)の住んでいる月影寺は古くから続く寺らしく、父さんはいつもここに来ると「おぼん」ってやつの手伝いで忙しそうだ。  その間、子供はある意味、放置だ。  寺の奥庭には小さな洞窟や滝があり、とにかく迷路みたいに入り組んでいる。そんな中を翠兄さんと俺は探検隊のように歩いた。 「あ! クワガタだ!」 「本当だ、大きいね」 「兄さん欲しい? 取ってやるよ」 「え……僕は虫はあまり」    顔を少し傾けて苦笑する兄が可愛く感じた。  最近は頼りにしている二歳年上の兄との差が縮まっていると感じるのは、何故だろう。 「あれ? 流……もしかしてまた背が伸びた?」 「うん、きっとこの夏もっと伸びるよ!」 「うーん、参ったな」 「どうして?」 「流に来年には、抜かされそうだ」  少し悔しそうな兄の横顔が、木漏れ日にあたって輝いていた。  ずっと敵わない思っていた兄だけど、俺も来年にはもっと大きくなって、そのうち兄の背丈を抜かしてしまう気がする。  それは少し寂しくも、楽しみだ。 「なんで? 俺の背が伸びるのがイヤなの?」 「そういうわけじゃ……でも背を抜かされてしまうと兄としての威厳がなくなるかなって」 「そうかな?」 「そうだよ。流はただでさえ父さんに似て男らしい顔をしているのに、僕は母さん似だから……うーん、流や丈が羨ましいよ」 「そうかな? 兄さんはすごくきれいだよ」  キョトンとした表情で、兄が俺を見た。 「ぷっ! りゅーう、それって使い方間違えているよ。そういうのは女の子に言う言葉だよ」 「そうなの? でも」  でも本当のことだよ。  兄さんが嫌がるのなら、その言葉は今は言わない!    しばらくは俺の心の中にしまっておくよ。  でもやっぱり…… 「兄さん、とてもきれいだよ」  いつかまた言いたいな。  大人になったら言えるかな?  きっと言えるさ!
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