別れ道 1

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別れ道 1

 季節は巡り巡る。  過ぎたる日々に意味があったのか。  否。  俺と兄の間には何も起こらなかった。  兄と弟の立ち位置は、高校時代と少しも変わっていない。  あのインフルエンザ騒動の結果、兄は京都の大学ではなく都内の大学へ通うことになった。  兄の実力ならもっと上位校を目指せたのに、仏教を学びたいからと都内の仏教系の大学に進んでしまった。  本当に寺を継ぐことを真っ先に考える人なんだと寂しくも思った。  それでも遠く離れることなく、この寺から大学へ通ってくれることを喜んだのもつかの間、今度は俺の方が浪人をしてしまい、兄との二歳差に、さらに距離が開いてしまった。  そんな俺も、ようやく大学一年生だ。  家族の反対を押しきり、神奈川の芸術系の大学に入学した。  四月一日、今日から兄は大学四年生に進級する。  俺の方は入学式や入学ガイダンスと、まだ授業が本格的に始動していないので、早い時間に月影寺に帰って来た。 「ふぅ、まだこんな時間なのか。あぁ、退屈だ」  真昼間から家に一人でいることなんて滅多にないので、新鮮な反面、何をしたらいいのか分からない。暇を持て余し、絵でも描くかと、部屋からスケッチブックを持ちだし縁側に腰かけた。  月影寺の風流な庭にも、ようやく春がやってきた。  染井吉野、八重桜、滝の近くには枝垂桜など、数種類の桜が次々と咲き乱れていく美しい庭だ。  まさに豪華絢爛、花の盛りを迎え入れていた。  鉛筆をザッザッと動かし無心に描いていると、桜の花びらが一枚舞い降りて来た。  白と黒の世界に、差し色のような桜色がはらり。  そっと紙上に舞い降りた桜に触れようと指を伸ばすと、一陣の風が吹き花弁は逃げてしまう。  まるで俺にとっての、兄のようだ。  いつも近くにいるのに、手に入らない。  心も身体も遠い場所にいる人だ。  いつも兄として優しくしてくれ、弟を庇護する気持ちで満ちているのも知っている。  でも俺が欲しいのは、そんな愛じゃない。  どうして俺は……こんなにも兄の全てが欲しいのか。  心の奥底から沸き起こる気持ちを、中学生の頃からずっと持て余している。  積み重なる想いの行先が、どこへ向くのか怖い位だ。  上手く描けない。こんな気持ちでは――  スケッチ用紙を丸めて庭に放り投げると、茂みが揺れて兄が突然現れた。  兄がそれを美しい所作で拾ってくれる。 「流? どうした、せっかく描いたのに、勿体ないよ」 「兄さん、帰ったのかよ……」  俺はそこで固まってしまった。  兄さんの隣に、見知らぬ若い女性が立っていたから。 「誰だ……?」
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