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父になる 3
流との和やかな時間は、彩乃さんの帰宅と共にお開きとなってしまった。
束の間だった。
少し残念な気持ちを抱えながら玄関に迎えに行くと、彩乃さんは両手にデパートの紙袋を持って、機嫌が良さそうだった。
「ただいま~ 翠さん! 留守番ありがとう。薙いい子にしていた? 寝てるの?」
「あっ……お帰り」
彩乃さんが玄関先の靴を見て、怪訝な顔をした。
「あら……誰かお客様?」
「うん、流が……」
「えっ弟さんが来てたの……なんで?」
彩乃さんの声が、ワントーン低くなった。
「その……実家の母が心配したみたいで」
「ふぅん……翠さん、ちょっとこっちに来て」
帰宅したばかりの彩乃さんは、薙を抱くよりも前に、僕を隣室へ呼び出した。
「翠さん……あのね、こう言ってはなんだけど、あなたのご実家も大袈裟よね。だいたい独身の弟さんじゃ何の役にも立たなかったでしょう。だから今度は呼ばないで」
「そんなことない。流は……」
「はいはい、翠さんはいい子のお兄ちゃんですものね~ さてと薙はいい子にしていたかしら」
はぐらかされて、何も聞いてもらえない。
流……お前がどんなに僕の支えになっているか。
今日、どんなに心強かったかということも。
「兄さん……俺、帰るから」
暗く沈んだ声だ。
流との間に久しぶりに生まれた和やかな空気は一気に消滅してしまった。
彩乃さんも彩乃さんだ。せっかく北鎌倉から母のお使いで来てくれた流に聞こえるように、あんなことを言うなんて。だが、そんな彼女に対して僕は強い態度を示すことが出来なかった。
僕は克哉くんから逃れ、流を守りたいという身勝手な下心を抱えて、彼女と結婚したのだから。
明るく大らかな彼女は、僕にはないものを沢山持っていた。
ズバズバと物怖じせずに発言し行動するところが眩しかった。
だから彼女なら……と思い、結婚した。
でもお願いだ。
流に対しては……やめてくれ。
僕が傷つけてしまった流は、今とても脆くなっている。
そんな流と、やっと久しぶりに心を通わせられたと思ったのに……
荷物をまとめてスタスタと玄関に向かってしまう流を慌てて呼び止めた。
思わず腕を掴むと、容赦なくビシッと振り払われてしまった。
「離せよっ!」
「あっ……」
ズキンと胸が痛んだ。
「流! 待ってくれ」
「……邪魔したな。ここには、もう二度と来ない!」
それだけ言い残して、振り向きもせずに行ってしまった。
あぁ……駄目だ。また僕の心はひとつ欠けてしまった。
僕が月影寺を出、流と上手くいかなくなってから、こうやってポロポロと心が欠けていく。
穴がボコボコに開いて、そこから冷たい風がビュービューと吹き込んで来る。
寒い……
流……僕はもう凍えそうだ。
これ以上大きな穴が開いたら、きっと心を失う。
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