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父になる 7
「もう、翠さんってば、父親としての自覚はあるの? よりによってインフルエンザだなんて。子供より大人が先だなんて情けないわね。もういいから、あなたはここに残って静養するといいわ。私は先に東京に戻るわ」
「ごめんね。せっかくのクリスマスなのに迷惑をかけて……彩乃さんひとりで大丈夫?」
「実家に迎えに来てもらうから平気よ。薙にインフルエンザが移ったら大変だから、それ以上近寄らないで」
「……」
情けないことに、僕はまたインフルエンザにかかってしまった。毎年予防接種を受けているのに、どうして毎年かかってしまうのか。自分が嫌になり、彩乃さんたちを部屋で見送った後に、暗いため息が漏れてしまった。
「はぁ……疲れた」
彩乃さんは、多少言葉はキツい所があるが悪くはない。インフルエンザにかかった僕が全部悪い。
発熱した僕に付き添って二泊してくれたが、インフルエンザ判定が陽性だったので、薙と隔離すべきと判断し、あっという間に迎えの車で東京に戻ってしまった。
「ゴホッ、ゴホッ」
インフルエンザは特効薬を飲めば割とすぐに楽になると一般的には思われているが、僕にはどの薬も効き目が悪く、いつも気管支炎のように咳が酷くなって、こじらせてしまう。
「うっ……」
咳のしすぎて胸が痛く、目には涙が滲んでしまった。まるで世界に一人きりになったような気分だ。白昼、部屋に差し込む光は白く温かいのに、どこまでも不安で寂しくなってしまう。
それでも、ここが月影寺なのは救いだ。
東京のマンションで寝込むと、いよいよ高層階の密室に閉じ込められた気がして、息が詰まり窒息しそうになる。でもここなら、この僕の部屋なら、たとえ流がいなくても流の思い出がいてくれるから、心がいくらか救われる。
特効薬の効き目は弱く、夕方になるとまた熱が上がってきた。寒気がして関節が痛み、頭痛も酷く起きていられる状態ではない。
僕はそのまま、目をぎゅっと閉じた。
苦しさから逃れたい。
眠ってしまいたい。
流に会いたかった。
****
「おい流さぁ、そろそろ帰れよ。今日はクリスマスイブだから彼女が来るんだよ」
「あー そうだな。悪かったな、急に来て」
「いいって」
一人暮らしの大学の友人宅に転がり込んで三日目の朝、彼女が来るのを理由に追い出された。
まぁ、しょうがない。そもそも旅行に行くなんて真っ赤な嘘さ。母親から突然、兄さん夫婦があの夏以来初めて子連れで帰省すると聞かされて、みっともなく逃げ出したのだ。
カレンダーを見れば、確かに今日はクリスマスイブ、12月24日になっていた。兄さんたちは一泊しかしないと聞いていたから、もう戻ってもいい頃か。しょうがねーな、家に帰ろう!
「しかしお前みたいなイケメンがクリスマスイブに一人なんてもったいないよな。大学じゃ女から告白されまくりだろ?」
「ふんっ!」
「おい、なんだよ。その不敵な笑い。より好みすぎて彼女がいないくせに」
「うるせぇってーの」
泊まらせてもらっていた友人の家は、茅ヶ崎だった。
「海でも見てから帰るわ」
手でひらひらとバイバイの合図をして、リュックひとつで友人のアパートを出た。そしてそのまま真っすぐ海岸を目指し、木枯らしが吹く中、黙々と歩いた。
クリスマスイブなんて関係ない。
あの人が傍にいないクリスマスなんて無意味だ。
俺には不要なもんさ。
つまんねー人生。
つまんねー毎日。
生きてる意味を感じない日々は、一体いつまで続く?
まるで呪文のように頭の中で、そんな不吉なことを唱えていた。
いつまでもこのままじゃダメだって頭では理解しているが、成す術がない。
兄さんは……
月影寺にいない。
結婚してしまった。
嫁さんがいる。
嫁さんを夜な夜な抱いてる。
父となってしまった。
兄さんは、もう手の届かない場所へ行ってしまった。
変わってしまった。
全部俺にとって、見たくないもの!
蓋をしたいもの!
だが……兄さんの子供は、少し違う存在だ。
あの子は奥さんの面影は皆無で、兄さんにそっくりな顔立ちだった。
兄弟の立場が逆転したかのような不思議な感覚だ。
複雑な思いをポケットに詰め込み、家に戻ることにした。
あとがき(不要な方はスルー)
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連日不穏な展開ですが、二人はアップダウンを繰り返しながら最上の関係を目指している最中です。切なく読むのが辛いかもしれませんが、追いかけていただけたら嬉しいです。明日から数日は、少しほっこりした話になります。
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