父になる 9

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父になる 9

 兄さんの部屋に、兄さんがいる。  以前は当たり前だったこの光景を、再び見られる日が来るなんて。  それが無性に嬉しかった。  「兄さん……」  呼んでも返事はない。それもそうだろう、ぐっすり眠っているのだから。  俺はそれ以上は呼びかけず無言で兄さんの枕元に胡坐をかき、十分以上穴があくほど兄さんの顔を見つめた。  顔を背けず、背けられず、見つめられるのが幸せだった。  時折ゼーゼーと薄い胸が苦しそうな音を立て上下し、ゴホッゴホッと咳き込むが、目覚めているわけでない。     辛そうだな。もう熱は下がったのか。  綺麗な形の額に汗がうっすらと浮かんで、熱の名残りのせいか頬も上気している。  髪型を少し変えたのか、前の方がいいぞ、もう少し長めの方が兄さんらしいよ。  しかし……なんだよ。すっかり痩せちまったな。  あれこれと思いつくまま、心の中で話しかけた。永遠に話せると思えるほど、兄さんと対話出来ることが嬉しかった。  意を決して額に手を伸ばすと、熱はもう下がっていた。そのまま額に張り付いた髪の毛を指先で梳かすと、地肌まで汗ばんで冷たかった。  いつまでもこの姿を見ていたい。早く汗を拭いて着替えさせてやらないといけないのに、駄目だな、俺は全く……  長い睫毛が影を落とす美しい顔を、俺は苦し気にじっと見つめ続けた。  儚げな姿だ。起きている時は背筋を伸ばして佇んでいる凛々しい兄だが、こんな姿は本当に頼りない。  兄なのに守ってやりたくなる人で、とても父親になった人には見えないよ。  この華奢な身体で嫁さんを抱くのかよ。こんな折れそうな細い身体でさ!  兄さんは小さい時から熱を出しやすかった。そして本当は寂しがり屋だ。  どちらも、ずっと見ていたから気付けたこと。  その時カーテンの間から射し込む日の光が反射し、兄さんの目元がキラリと輝いた。  それは涙なのか、咳き込んで苦しかったのか。翠兄さんの目尻には涙が溜まっていた。涙の乾いた跡もあり、それは頬を幾重にも伝い枕を濡らしてた。  まったく……おい、どうなってんだよ? どうしてこんな姿を俺に見せる?  こんに弱って、どうしたんだ?  幸せなんだろ?  幸せになったんだろ?  奥さんと子供に恵まれてさ!  俺を置いて出て行って!  だったら、こんな弱った姿見せんなよ。  胸の奥を掻きむしりたい程、苦しくて仕方がない。  目尻の涙、俺が唇で吸い取ってやりたい。  その痩せてしまった身体、きつく抱きしめてやりたい。  それ以上に触れたい!  兄さんの身体のすべてを見てみたい!  肌着で隠された秘めたる部分も何もかも、全部。  そんな闇雲な衝動に苦しんでいると、翠兄さんの目が突然覚めた。 「あ……?」  俺と目が合い不思議そうな表情を浮かべ、それから戸惑いながらも手を伸ばしてきたので驚いた。 「なっ、なんだよ?」 「流……流なの? 本当に……」  信じられないといった表情だ。  誤解しそうだ! 錯覚しそうだ! その表情にヤラレル! まるで俺を求めているような仕草と表情にクラクラする。 「流……会いたかったよ」  ……トドメを刺された。ヤバイ……  ドクンっと大き血流が股間に生まれる。   「りゅーう、戻ってきてくれたんだね」  ヤッ、ヤバイって! そんな嬉しそうな顔すんなよ!  必死に必死に、深呼吸して取り繕う。  コイツは俺を置いて出て行った憎き兄だ。  必死にそう思うようにする。  あ――もう、だからっそんな顔で見るなよ。 「流……どうして? 旅行に行って帰らないはずでは?」 まったく、それはこっちの台詞だ。とっくに東京に戻ったと思っていたのに、なんでいるんだよ。そもそも俺の旅行は、旅行なんかじゃない。『逃避』だ。兄さんの幸せそうな顔を見たくなくて逃げたんだよ! とは言えない。気まずくて……横たわる翠兄さんに向かって、母さんに渡されたパジャマと下着をバサッと投げつけてしまった。 「きっ、着替えだ」 「痛っ」  しまった! 兄さんの綺麗な頬を、衣服で殴ってしまったじゃないか。  俺は馬鹿だ。こんなことをしたかったんじゃない。この手で優しく着替えさせてやりたかったのに。 「早く着替えろよ。汗をかいたんだろ。まったく世話ばかりかけてさっ」 「ごめん……ありがとう。じゃあ着替えるね」  兄さんは何故か期待外れだったような表情で布団から半身を起こし、パジャマのボタンに手をかけた。  ひとつふたつ、やがて上半身が開かれ、しっとりとした素肌が見えてくる。俺は横を向きながらも、ついチラチラと横眼で見てしまう。兄さんの方はまだぼんやり焦点のどこか合わない様子で、俺の邪な視線には気が付かないようだ。  やがてパジャマが掛布団に滑り落ち、兄さんは上半身裸になった。  心臓の下の火傷の痕、それを見たのはいつぶりだろう。  治ってはいるがケロイド状になって、兄さんの美しい身体に残酷な刻印として残っていた。  絶対に許せない! こんな傷を残してくれやがって!  忘れていた怒りが沸々と湧きあがってくる。なのに……その上の小さな飾りにどうしても目がいってしまう。  怒りが誘惑にかわる瞬間だ。ピンクに色づいた小さな突起が控えめに俺を誘ってくる。  あそこに思いっきり吸い付いてみたい。吸ったら感じるのか、どんな顔をするのか。  絡みつくような視線に兄さんが突然震えた。 「ごっ、ごめん。みっともない傷を見せて……き、気持ち悪いだろう」  あぁ、やっぱり……俺の熱い視線の真意は、兄さんには永遠に届かない。  兄さんは慌てて新しいパジャマを羽織ってしまった。だが、それから散らかっていた下着を手にした。  ん? おお! しっ、下着か!!  
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